✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■5/28(火) ③

■ようやく書類を書き終える。

その途中、まるで希望のない『闇の列車、光の旅』を観終えた。

 

生活保護の書類を提出しに行って、今回家庭訪問があるかないかわからないが、お金の問題だけではなく、

(去年の9月には2人の係員がやって来て、そのうちのひとりが担当。そのうちひとりが僕の担当となり、肝硬変で働くとすぐに疲れてしまって一日中寝たままになってしまうと申請しに行ったにもかかわらず、

「仕事は選ばずに肉体労働でもなんでもしてください」

生活保護が決定されたら逆に不動産屋は信頼できる人物とされますので、保護の限度額の家賃で部屋をいくらでも紹介してくれますから行ってください」

「引越し代は市から出ます」

の一点張りで、もし倒れたらどうするんですかと尋ねると、その場合には病院からこちらに連絡が入るでしょうなどと、とにかく受給をさせないことばかりが念頭にあるのか、相当意地悪をされてしまったのだが……)

健康保険証をとられてしまうなど制約も多く、基本的に市役所で指定する病院にしか行けなくなってしまう。

主治医の先生のようにいいお医者さんは、うちで引き受けますと言ってくれるが、事務手続きによけいな手間がかかるからと診療を拒否するところも多い。

実際、もう少しで終わる歯医者さんも、結局保護の打ち切りを要請するまでは通うことができなかった。医療事務の女の子がとろいからなあ……あそこは)

その他糖尿であるとか、比較的近くに評判のいい病院があったとしても、駅周辺の指定医しかダメだというのが原則だから(主治医のところは2年にわたる継続治療をしていたから、こういう場合は特例らしい)、セカンド・オピニオンを聞きにどこかへ行くことも、市役所に連絡してオーケーが出ない限り気軽には入れなくなってしまう。

 

まあ、これから死ぬまでずっと生活保護のお世話になるつもりは毛頭なく、家賃の滞納を解決し、1カ月は暮らしていけるような預貯金ができ、普通の生活へと戻ったら、また保護を返上したいと言うつもりだから、しばらくの辛抱なんだけれども。

 

■これから別のビデオ。娘からの電話連絡があるまで観るつもり。

(1本の作品を見終えるのに、途中で飽きて、2日も3日も分けて観るようになってしまったのは、やはり脳症のせいなんじゃないかなあ……)

 

■図書館から帰る途中の娘から電話。

この前数日にわたって小言を言ったりやりあったら、なんだかよけいに互いの心が接近したようで

(僕がちょっとおかしいというのを気づいただけかれも知れないが……)

昨夜、今朝とお互い笑いあって会話ができた。

 

3年もの間会っていない、とりわけ高校時代に会っていないわけだから、さぞかし変わったことだろう。

ボーイフレンドのひとりやふたりいるだろうが、

「バカばっかし」(娘談)

の地元ではなく、いい大学でいい男をつかまえる予定らしい。

本当に留学するなんてことになったら(アベノミクスのただひとつのいいところは、給付金を出してくれるようになりそうだということだ)、フランス人のハーフの赤ん坊を連れて帰ってくるんじゃないかとか、あらぬ想像をしてしまう。

まあ、当人が幸せに生きてくれれば、ハーフの赤ちゃん(おい……孫か……)だろうが海外で結婚してその国に在住して働くようになろうが、その他のことはかまわない。

 

その娘が夏休みにやってくる。

なけなしの預金で勉強机の安いヤツを買わなきゃと口に出したら、友人から、

「やめた方がいいんじゃないか? お前のそのデリケートな神経だと、娘が帰ってからその机を見て思い出して泣くんじゃないか」

と言われた。

けれど、じゃあ、どうすりゃいいと言うんだろう。

浪人生で最後の大学受験で当人も必死で頑張っている。でもお父さんも心配だし、環境を変えて(海を散歩したいらしい)勉強するのもいいかもと言ってくれているのに、背たけの低い食卓とか折りたたみテーブルとかで窮屈な姿勢となって勉強したんじゃ、なんだか良い印象が残らないじゃないか。

「年末年始に遊びに行きたいけど、机がね~」

と敬遠したらどうするのか。

それに僕はもう、家を出てから6年を過ぎて独り暮らしをしているうちに、そうした寂しさはだいぶ薄れたというか慣れてきたんだと言ったのだけれども、友人は以前僕の浴びるように酒を飲む姿を見ていてその印象が強いのだろう、結局納得しないで電話を切る雰囲気となった。つい先日。

 

そういえば「子ども依存症」とか僕の状態に勝手に病名をつけていたっけかな。

そんなに弱い人間だったら、とっくにウツになっているだろうし、心療内科から、

「もう来る必要はないですよ」

と、抗不安薬だの睡眠薬だのが出なくなるほど好転しなかっただろうに……

まったく信頼をされていないというのも、どこか悲しいものだ。

 

まあそんなことは放っておくとして、7月の頭には塾の第1学期が閉講となるそうだから、第2学期の金を出してやれるかどうか、なにしろ生活保護を受ける可能性がかなり高い僕にはとてもその自信はないのだが、それはともかく第2学期が開講するまでのおよそ2カ月の間に、どれぐらい来るつもりなんだろう。

 

「お父さんのお金のことは考えず、純粋にどのぐらいの間こっちに来たい?」

とさっきの電話で聞いてみたけれども、いちども来たことがない環境だし、

「うーん……2カ月はさすがに長いし……」

と考え込んでいたけれども。

まあ、2カ月もいられたら、毎日肉入りもやし炒めみたいなことになることは必定で、そうなったらさすがに退散するだろうけれども。

 

そんなことを笑って話し合える間柄の人間が、血のつながった家族にひとりいるだけで、こんなに自分の心が晴れ晴れとなるのか、明るくなるのかと、少々驚いて電話を切ったのだった。