断酒804日目(130113)
断酒804日目。
昨夜は明け方まで起きていたから寝不足もいいところ。
8時覚醒8時半起床。
快晴。
明日はほぼ終日雨ということで、朝の運動のごく一部と、果物を胃に流し込んでから直ちに洗濯作業。
その後運動を続行するが、まことに日乗であるなあと天井を見ながら思う。
人間は二本足歩行をするようになったら、急に頭が良くなっちゃって、いろいろと悩み多き人生について考えるようになったけれども、結局はその日その日を生きているだけに過ぎないなあと。
これはたぶん、原始時代とさほど変わらないんじゃないだろうか。
だとしたら、人間的悩み、人間だからこそついのめり込んでしまう悩みを感じない、考えないようにするだけで、きっとずいぶんとラクになるだろう。
実際自分の人生をふり返ってみると、起きもしないこと、ありもしないことについての心配が、悩みの大半を占めていたことを思い出す。
悩みそのものも、人間が脳内で作り出した物質であるのかも知れない。
「ただ生きて、ただ死ぬこと」
だと達観すれば、あるいは禅宗のようにバカのように生きれば、あるいはキリスト教やイスラームの教えのようにすべては神の御心のままの仮の姿だと思えば、あるいは仏教の説く無への回帰であることを思えば、少しは気が楽になるのではないだろうか。
行く川の水は絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
という方丈記の冒頭は、まさに達観、至言であり、これ以上のこともこれ以下のこともないのではなかろうか。
しかしそれでは霊長類としては少し寂しいから、さまざまに物を買い求めたり、積極的に友人との交流を図ったり、趣味を極めようと寝食を忘れて没頭したりしているわけで、しかしそうした動きがまた、人間特有の悩みを引き起こしたりもするんだろうと思う。
(ここにも作用反作用の法則があるんだろうと思う。行動を起こせば、それに対するリアクションは必ず起こってくる。僕のようにほとんど引き籠もりのような生活をしていても、外部との接触を100パーセント切るのは不可能だから、それなりにトラブルだの難題だのが流入してくる)
※これはまたいずれ続きを書かなくちゃいけないけれど、「孤独」の問題とも関係のある「悩み」の問題。