✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■1/1(火) なんの感慨もわかない正月は初めて。

これは負け惜しみでもやせ我慢でもなんでもなく、いやあ、みごとにめでたくない(^_^;)。

正月正月と言われようが、テレビで新春番組をやっていようが、数少ない年賀状が届こうが、とにかくめでたくない。おめでたいという気分が枯渇してしまったかのように何の感慨もわかない。

 

それでも去年の正月までは、お雑煮一杯だけだけれどお節料理のつもりで作ったし、2日の箱根駅伝の時は沿道で旗を振ったし、初詣に行きたいと思ったり(結局はお金が無くて、ずいぶん後に行ったけど)、どこかで正月に対して心沸き立つような感情があったように思う。

 

ところが今回はまるでない。

そのことに自分で驚く。

今日やったことと言えば、洗濯に、風呂に、年賀状書きに(結局3枚書いた)、チャーハン作り。郵便局前のポストまで行って、暗くなってしまったベランダで洗濯物を取り込み、いきなり別の大学を受けると言い出した娘にほとほと疲れを感じただけ。

 

これはどうなんだろう。無感動になってきたということか。

いや、正月などのイベント、たとえば誕生日とかそういった物に対しては無感動になってしまったようだけど、それ以外心動かされることはたくさんあるから、感情がなくなったわけでもない。

 

結局、仙人のような暮らしが、板についてきたということか。

本を読み、本を書くという生活には、ベストなのかも知れないが、初めからそういう人生の定めを背負っていたのかも知れないと思う。

生い立ちからしても、ふつうの家庭とはだいぶ違っていたと、ふり返るたびに思う。

 

よけいなことに一喜一憂するのをやめて、覚悟を決めて書けと、神さまが言っているのかも知れない。

それはそれで喜ばしいことだが、きっとますます偏屈となり、人としゃべろうともしない近所の不気味な爺ぃになっていくんだろうな。

 

けれどそれもおもしろい。

最後まで見届けてやろう。