✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 12/5 腐った頭で考えた「カレ氏」「ボーイフレンド」「セックスフレンド」(1)

午前中に仕事、どころか5時半というぎりぎりの時間になって、ようやく7ページ半を書き上げる。

しかも面白いんだか面白くないんだかわからないという、いちばんイヤなパターンに陥ってしまっている。

明日は筆を進めずに、頭から読み直さないといけないな。こりゃ。

せっかく100ページを突破したんだから、大きく直したい欲望が湧いて来なけりゃいいんだけど……

 

■関係ない話だが、ちょっとここ1年ぐらいの間にだんだんと心に積み重なってきてションボリしていることがある。

それはまあなんというか、唐突だけれども、

「カレ氏というのは、セックスをして当たり前の対象」

であると、複数の女性たちから聞いたことである(全員人生のベテラン。つまり大年増(^◇^;)。

そんなことないだろうと僕が疑問を呈し、反論を試みても、今どきの若い娘はそうなんだから仕方がないの一点張り。

しかもそれは、昔よりそうしたことについて社会が寛容になってきたからであって、女の気持ちとしては、以前からそう変わらないのではないかと。

そうした事実に反論しようとする僕は、どうやら時代の遺物であり、ロマンティシズムを求める特徴的な男であるとまで言われてしまったのだ。

 

え~? そうなの?

 

いや、別にセックスがふつうになったからどうのこうのという問題そのものではないんだけど。

僕が学生の頃は、男女が1対1でスキー旅行でお泊まりするなんてことを許さない親がまだ多かったし、僕らの方としても、やはりどこかに罪悪感のようなものがあったから、大学の友人たちと複数で行く、サークル何人で行くみたいなウソをついていたものだった。

それがわずか10年もしないうちに、スキーで泊まりに行くなんてあったりまえじゃん。てな世界に早変わりしていたのだ。

その時は正直ちょっとショックだったけど(とりわけ女には奥手――いまのような女嫌いになる前段階(^_^;)、まあ日本というのはすべてアメリカの20年遅れで、良いことも悪いこともマネして変わってゆくモノマネ国家だと思っていたから、アメリカでフリーセックスという言葉が流行ったんだから、いずれ日本でもそうなるだろうと想像してはいたけれども。

 

しかしそれでも、僕の古い常識のなかでは「カレ氏」というのは単なる男友達、すなわち好ましい男性を「ボーイフレンド」と呼ぶんだろうという考え方があった。

ところが「カレ氏」というのは、どちらかというと無害な存在である「ボーイフレンド」よりも、「セフレ」に近い存在なのかという解釈(極端な言い方だけど)の部分において、2つめのショックを受けてしまったのだ。

 

ショックはさらにもうひとつあって、それは海外に留学あるいは赴任した女性のほとんどが現地でカレ氏を作っていて、そこにもセックスが介在していて当然だと言われたこと。

これらは本当のところ、どうなんだろう。そっちの方が主流なの? 日本人でも?

「じゃあ海外留学したいと娘(僕の娘という意味ではなく、世間一般としての)が言い出したら、現地で主に外国人とセックスすることを許可することになるわけ?」

とベテラン女性のうちのひとりに尋ねたら、

「言い方に問題はあるけど……そうなんじゃない?」

という答えが返ってきた。

あ、そうなの。

これって、女性の方が一方的に開放的になって、その対比として見た場合に、草食系男子というのが多くなったように見えるんじゃないのかという気もした。

男の方は、すでに男尊女卑の日本社会を代々生きてきたから、女性ほど開放の度合いは大きくなくて、より抑圧されてきた女性の方が目立つと。だから一見、草食系男子が増えたように見えるけれども、実は男の方は以前と大して考え方も行動も変わっていないんじゃないのか。