✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/6(木) ①午前中、惨敗……

 

断酒641日目。

昨夜眠くてたまらず、10時半には意識を失ったものの、すぐに目が覚めてしまった気がして時計を見ると深夜1時半。

あれ、いちおう3時間寝てたんだと思って安心して、また寝直す。

こんどは3時過ぎに目が覚めて、なんだかすっきりしている気がしたので、ゆっくりと膝関節、股関節の運動をやり、起き出してごみ捨てをしてから続きをやり、ひさしぶりにヨガを6ポーズおこなう。

が、机に座ってみてから、実はまだ眠くて眠くて仕方がないことに気がつき、ぼうっとして、原稿遅々として進まず。

書いては消し、書いてはうたた寝を繰り返し、気がついてみれば11時半。

わずか2ページ4枚。大失敗。

やはり10時台に寝るのは僕にとって鬼門なのか。

今日は帰宅して少し休んだら、夜も仕事の続きをする。

 

 

まあ以前はなにかちょこっと外出しただけで疲れてしまい、夜仕事などできなくなっていたから、それよりははるかにマシ。

考えようによっては、出かける前に2ページ終えてるんだから、これまでと比べたらずっと優秀なんだと思うことにしよう。

実は昨日、応募の規定原稿枚数ではとても収まりきらないプロットだったということが、30ページ60枚を越えたあたりではっきりとわかってきたため、大幅に要素を削除。

たとえ賞に引っかかりもしなくとも、どこかから書き下ろし文庫としてシリーズ化はできるだろうから、その際削った要素をつけ加えようと思う。

 

初めての応募作品とかデビュー作の欠点のひとつとして、自分が考えていたことを詰め込むだけ詰め込んでしまうということが挙げられる。

僕自身もそうだったのだが、どうも素人は最初の作品への思い入れが強すぎて、これでもかとばかりにすべてを詰め込んでしまって、ひとつひとつの描写が弱くなったり、枚数が足りなくてなんだか尻切れトンボのようになってしまったりしてしまうのだ。

これは多くのプロの作家や評論家が口を酸っぱくして言っていること。

 

しかし削ると言うことは、出し惜しみとはまた違うというのが難しいところ。出し惜しみというのもまた、してはならないことのひとつなのだ。

全体のバランスを崩さない程度に、自分の思いや出来事を詰め込んでいくというのは一方で必要な作業であって、これを出し惜しみしてしまうととても薄っぺらい作品に仕上がってしまう。

この辺りのバランスというのが難しくて、これは実際に自分で書いて感覚を確かめてみないとわからないと思う。

 

風呂敷を大きく広げすぎて、畳むことだけで精一杯というのも最悪ならば、最初から水のごとく薄い酒というのも酔えやしないというわけ。

こうしたところにも、アウトプットの大切さがあるんだと思う。