✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 7/17(火) ①また朝から熱く(暑くぢゃなく)なっちゃったい!

断酒590日目。また節目の朝。

風、ややおさまるも、4~5メートルの予報。

ごみ出し、トイレ掃除、植物への水やり、自転車の空気入れ、仏壇の水やりなどを終え、黒豆生姜茶なるもので一服中。お茶請けはプロセスチーズに梅干しちょっぴり。最近、栄養素優先になっていて、組み合わせがよくわからなくなってる。

目、まったく覚めず。

 

ここで唐突ですが、クイズです。

★以下の(1)から(6)の■を、適切と思われる語句で埋めなさい。

(『日経ビジネス オンライン』に連載中の小田嶋隆のコラム(2011年7月15日)から抜粋)

 

仮にも一人前の男が、道を踏み外した手段に訴えるのであれば、彼は通常の業務に取り組む場合とは比較にならない真剣さで、その仕事に取り組まなければならない。当然だ。

「法の外で生きる男は」
 と、■■・■■■■(1)も歌っている。
「誠実であらねばならない」

武家社会における職業的なテロリストであった■■(2)は、倫理道徳はおろか、愛情や家庭生活といった人間的な要素のことごとくを、あらかじめ捨て去った世界で生きること(つまり「忍ぶ」ということ)を自らに強いた人々であった。必死というのはこういう姿勢を言う。」

 

もし、■■(3)の■■■■■■(4)工作が「必死」の業であり、その世論誘導の手練手管が、文句のつけようのないほどに周到で、また精緻かつ老獪であったのなら、私は、彼らの根性の卑しさを蔑む抱く(原文ママ)一方で、「これだけの仕事をやってのけた連中なら、もしかして原発の安全管理を任せても大丈夫なのかもしれないぞ」というふうに評価したかもしれない。原子力発電所の安全は、とびきりに優秀な人間が、命がけの真剣さで取り組んではじめて可能になるテの、極めて困難なミッションだ。とすれば、その安全を支える人間たちが掲げる倫理は、もしかすると通常の世界の倫理とは次元が違っているのかもしれないからだ。

 

「ところが、倫理をどうこう言う以前に、■■(5)の世論誘導は、作業として小学生レベルだった。
というよりも、報道されているところを確認する限り、彼らの仕事は誘導にさえなっていなかった。

幼稚園児の「指きりげんまん」以下。針千本を呑む覚悟さえ持っていなかった。

 

「私は驚愕している。

これは、昨日今日の付け焼刃の無能ではない
きちんと筋金の入った、十分に訓練の行き届いた無能だ
単純な浅慮や無神経で、ここまでの無能さは達成できない。
つまり、無能であることが求められ、無能であることが評価される機構がシステムとして維持されている場所でなければ、これほどあからさまな無能は生まれ得ないということだ。

 

おそらく、関係者のすべてが無能であり続けることが組織存続の前提条件になるといったような何かが、■■■■(6)の内部の、少なくとも原発に関連する部署には内在しているはずだ。そうでないと、説明がつかない。幹部から子会社に至るすべての関係者が、これほどまでに極端な無能さを発揮するためには、それにふさわしい、何か特別な事情が介在していないといけない。」

 

[解答]

(1)ボブ・ディラン

(2)忍者

(3)(5)九電

(4)やらせメール

(6)九州電力

 

 

つまりこれは、今回やらせ疑惑で騒ぎとなっている仙台や名古屋の原発聴取会での話ではない。

問題文のなかに「コラム(2011年7月15日)から抜粋」と書いたのが、実はヒントになっているんだけど、これは去年の6月7月に、九州電力のやらせメール事件が発覚した際に書かれたコラムなのだ。

 

今回、東北電力中部電力の社員が聴取会に紛れ込んで会社の意見を表明し国民の怒りを買っているわけだが、東電や中電の無能ぶりというかお粗末さは、九電の無能さとまったく同じ。そこからなんにも学習していないのだ。

 

僕も驚愕している。

 

※この文章、大津市の中学生いじめ自殺事件でも、学校の安全管理、教師、校長、教育委員会などで読み替えることが可能だということが、恐ろしい。