✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 6/24(日) ④選んだ道はイバラの道だけれども、夢は大きく広がる。

昨日お会いした同業の小説家は、同じ小説家には分類されるものの、僕とは毛並みがまったく違う。

ひと言で小説家と言っても、その数だけタイプがわかれるのだ。

人生と同じで、正解はひとつもないという世界の最たるものが小説家でありその他陶芸家なりイラストレーターでありの世界なんだと思う。

自由に自己表現できると同時に、すべては自己責任だから、誰がいつ夢破れて去ろうとも自分が生きるのが精一杯という、温かい心の持ち主が多いけれども実際その相手にしてやれることはほとんどないという、結果的には冷たい世界。

 

昨日の彼はそんな中でも希有な存在で、自分のアイデアなり企画なりを相手に惜しみなく提供し、

「いや、これは僕には書けないから」

と淡々としているのである。

よくエージェントだの編プロだのの人間は、それが商売とはいえ、

「もしこの企画が成功したら、印税として3パーセント欲しい」

と言ってくるから、仲間意識はあまり育たない。

友人ではあっても、ビジネスが介在しているから、なんでも話のできる本来の意味の友人とはなりえないのだ。

 

その彼が、病気でしばらく筆を持てなかった僕を心配して持ってきてくれた企画が2つばかりある。

ここがまた僕とはまったくタイプが違うところで、彼はその企画について漫画の原作を書くから、貴方は小説部門を担当したらどうですか? と提案してくれたのである。

そして同時並行して映画会社に売り込みに行くというのだ。

 

もちろん、そう簡単に事が運ぶとは思っていないけれども、その人脈の広さは、あたかもエージェントや編プロのごとしなのである。

しかもそれを、手伝ってくださいよと誘ってくれるだけで、見返りは一切要求してこないというから、数少ない友人のひとりである。

 

しかし簡単に事が運ぶとは思っていなくとも、もし当たればかなり大きい企画で、僕のように寡作の人間は、そうやって一発当てるしか方法はないじゃないですかとおっしゃる。

 

彼もまた、年間15冊も書くようなタイプの小説家には大いに疑問を持っていて、

「仕方がないとは思いますよ。これだけ競争が激しいんですから、自分の名前が常にどこかに露出していないとあっという間に読者から忘れられてしまうのは確実ですから。

けれどそれが正しいとは僕には思えないし、全員が全員、年に10冊も20冊も出していたら、常に自分の作品が書店に並んでいたとしても、あまりに新刊の点数が多すぎて、埋没しちゃいますよ。

だったら、多作ではなくても、読者に名前を印象づける方法はいくらでもありますからね」

と、とつとつと持論を展開していた。

それを聞いて、とても僕の動きではできないことだと、全面的に彼にお願いし、まかせることにした。

先輩の編集者が仲を取り持ってくれているので、それも安心な要素のひとつ。

 

「今年はいろいろ動くわ」

と、占星術家の茉莉花先生、マリィ先生がおっしゃっていたけれども、確かに裁判だの家の売却だの、一方では吐血だの体力回復だの、めまぐるしく動いていちいち喜んだり落ち込んだりしているヒマすらない。

 

しかしひとつだけ自信をもって言えるのは、

「好きな道をなにくそと何年でも何十年でも続けていれば、必ず道は広がる」

ということ。

もはや僕にとって、それは確信に近い。

しかも万が一まったく花開くことがなくとも、もっと年をとってから人生をふり返り、

「やっぱりあの時決断してやっておけばよかった」

と後悔することはない。

それがその人個人の、もっとも満足に近い場所に近づくことのできる唯一の手段ではないだろうか。

 

もちろん僕は、年をとってもっともっと重大な病気になっても、ろくな治療を受けられずにくたばるかも知れない。

しかし、やれるところまでやったという誇りと満足感をもって死ねるだろうし、

「やっぱりあの時決断しなきゃよかった」

と後悔することだけは、間違いなくないだろう。