✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■10/16(水) 断酒1079日目 ∞幸運な一日∞

■午前7時前、おそらく猛烈な風の音で目が覚める。

例によって、極端な睡眠不足。

それでも朝のクスリを飲んでしまおうと、起き出してリンゴを半分にカット。

ふと自分の足に視線をやると、ほぼ完全に腫れが引いている!

(人間の足ってこんなに美しかったのか!)

と感銘を覚えるほど(^◇^;)。

数カ月間、象の足状態が続くことが多かったため、美しいどころか、こんなに華奢でいいのかという感じ。細くてなんだか心細い。

くるぶしの尖った感じも見えて来たし、もう少し引けばパーフェクトなのだが、これは肝臓のせいもあって、むこうずねはまだむくんで靴下の跡がなかなかとれない状態だから、神経障害による腫れの消滅は、ここらが限度のような気もする。

 

半分にしたリンゴをかじりながら、ベランダの様子を見ようと、台所のドアに近づいてみると、なんと陽が出ている。

風はまだ強かったが、10年に1度という台風26号、いつもの台風とそんなに変わらなかったような気がする。

湘南地方の浸水などの被害もさほどではなかったようだし、肩透かしのような気分。

 

これから煎じたばかりのごぼう茶を飲みながら腹ごなしをし(とは言っても固形物はゆで卵のみ)、もういちど寝直すけれども、問題は午後3時からの主治医の診療所に行くかどうかだなあ……そのころには風も完全におさまりそうだし。

混むかどうか、微妙なところ。

薬がなくて、あるいは具合が悪くて、台風が過ぎ去るのを待っていたお年寄りがどっと押し寄せるかどうか……

たぶん勘としては、息子娘に来るまで送ってもらう人も多いみたいだから、息子娘の勤務時間もあるだろうし、たぶん少ないとは思うのだが……

まあ、起きてから考えよう。

 

しかし痛みがないと、食欲は湧くわ、一部だけだけど掃除機をかけちゃうわ、ごぼう茶を煎じるわ、1時間ほどかけてゆっくりストレッチや運動をするわで、いきなり生活の質が高くなる。

もう麻酔注射は当分離せないな……毎週打ってもらうのがなんだか楽しみになっている今日このごろ(-◇ー;)。

なにしろうつ伏せになって、見えない状態で針を刺されるのだから、正直コワイのだが、3度もやってしまうと慣れたもので、それに比べれば血液検査なんて子供の注射ごっこって感じがする(;^ω^)。

 

■結局、午後の部から主治医の診療所に行ってしまった。

だいぶ遅めに行ったせいか、ガラガラ。

1時間弱で診察室へ。

先生、開口一番、

「おう。ガンはなかったぞ。すい臓にも肝臓にも胆のうにも。よかったなあ」

と。

先週10日(木)のMR-CP検査の結果が出ていたのだ。

なんだかさすがにホッとした気分になっていると、

「膵管も正常に戻っちゃったよ。一過性だったんだな。太くなったのは。

ただちょっと胆のうの壁が軽度肥厚(ヒコウ)してるというから、胆嚢炎の疑いがあるということだが、この程度は心配ない。内部にポリープもあるけど、これも取り立ててどうこういう問題じゃないから。

だからMR検査は合格!」

なんか良かった……。

「それにこれ見たまえ! 血液検査の結果だ。

総タンパク質が基準値に入ったから、その67パーセントを占めるアルブミンも上昇して、3.4。前回3.2だったから、わずかながら改善しとる」

そう。アルブミンが0.1上昇するには、最低1カ月かかるというのだから。

「それから、ほれほれこれだ! AST(GOT)なんか15に下がっちゃった! ALT(GPT)も9だよ。9。アルブミンの値を別とすれば、もう肝臓病とは言えんな。

あとは、HbA1c8 (ヘモグロビン エーワンシー)も徐々に下がっているから、血糖値もコントールされつつある。

アンモニアの数値も、前回178だったのが136と下がって来ているから、基準因へはまだまだだけど、順調に下がっているから、カルニチンが効き始めたんだな」

と上機嫌。

たぶん僕が3年間、ずっと先生の言うことを聞いてきたから(一部面従腹背(;^ω^)、嬉しくてしかたないんだろうと思う。

熱心なお医者さんというのは、自分の診療や投薬で患者が良くなるのが無償に嬉しいらしいから。

(逆に隠れて酒を飲んでたり、薬を勝手にやめたりとかしていると、ムカッと来るらしい。ただしやる気のない、もしくは知識の無いヤブ医者は、まったく我関せずになる)

とにかく、眠い目をこすって行っただけのことはあった。

今日はめずらしく幸運な一日。

 

■幸運が続いているのかどうか、11時になろうとする現在も痛みの発作の兆候無し。

12時までには寝ようと思っているが、寝ている最中にうなされるようにして起きたこともなんどかあるので、そうはならないよう祈るのみ。

 

■僕はテレビドラマというのは、おそらく中学生ぐらいから毎週連続して観るなんてことはまずなかった。

学生の頃は、両親の毎晩のように勃発するひどい怒鳴り合い、ののしり合い、つかみ合いのケンカばかりだったから、とてもリビングでテレビを観られるような状態ではなかったというのが、ドラマにのめり込めなかった原因だろう。

食事が終わったら、すでに酒を呑んでいるのではないかと疑わしい言動を取り始めた母親を見て、時にはこれともひどいケンカをしたことは数限りなくあるが、そのうちに酩酊状態で文字通り虎のような状態で帰ってくる父親を恐れかつ嫌悪感から、次第に母親とのケンカをやめ、食事も勝手にひとりで摂って、すぐさま部屋に閉じこもって本を読むことが多くなっていたから、自然学校でも、評判のドラマやそれにまつわる話題にはちっともついていけなかった。

 

一方大学生になってからは、今度は家から解放されたという思いもあったし、実際大学のコンパとか、バイト先で知り合った同年代、あるいははるかに年上の人間の話を聞くのが面白くて、いつも終電で帰るのが常のようになっていた。

自然、テレビなど観るヒマはない。

 

就職すれば、夜はますます忙しくなり、終電どころか明け方タクシーで帰宅するなんて当たり前だったし、小説家やライターの原稿が上がるのをひたすら待っている同僚は、ほとんどがどこかに飲みに行ってしまうし、残った人間は映りの悪いテレビの前に集まって、ナイターを見るというのが行動パターンだったから、ドラマなど見たくても見られなかったし、そもそも飲み派閥に入るのもめんどう、かといって野球などスポーツはあまり好きではなかったから(格闘技のぞく)、会社の人間が絶対に来ないような、サラリーマン御用達の居酒屋や、キャバクラなどにひとりで行って、馬鹿騒ぎをし、原稿が上がったとの連絡(当時はボケベル……)があると、ヘベレケに酔って帰るのが日課だったから、これまたドラマには縁など無かった。

 

それがここ1年ほど、なんだか肝臓病になった初期よりも病状がかえってひどくなったせいか(検査数値はバツグンに良くても、その合併症とか今回の神経障害、肝性脳症など、「苦しい……」とうめくような病状が連続して出たことで、自然テレビの前で時を過ごすことが多くなり、それでようやくドラマとかドラマの再放送とかに出会ったのだ。

なんという世間ズレ。

若い時こそ世の中のトレンドとともに世の中を泳いでいくのが得策だったであろうに、どこか冷めていた自分には、

「トレンドなど、1年もすれば過去の遺物」

ということがなんとなくわかってしまって、学生時代からまったくのめり込むことがなかったのである(ジャイアンツの長嶋選手とその後の監督時代だけはのぞく)。

 

今も『相棒』のシーズン12を観ていたのだが、新シリーズの始まりをわくわくしながら待っていた自分に気がついて、思わず自分自身の変化に驚いた。

これは世間ズレなのか、定年後になにもすることがなくなった高齢者状態なのかわからないが、ともかく好き嫌いの波は相変わらず大きいものの、今やけっこうドラマには詳しい(^◇^;)。

 

しかし、昨日新しいコンタクトを手に入れたことだし(装用はまだ)、もしかすると夜になると文字を追うのがツラクて読書をあきらめたぐらいだったものが復活するやも知れず、そうなったら『相棒』ぐらいにして後は斬り捨て(よほど面白い短期の時代物なんかがあったら、それものぞく。NHKというのは、突然、いきなり、『腕に覚えあり』なんて名作連続ドラマを始めちゃったりするとてつもない底力を持っている会社として畏怖しているのだが(お金がないので、ずうっと受診料を払ってない (-ω-;)、こんなところが「金曜時代劇」なんてのを始めちゃうと、週に2回は追いかけることになってしまうだろうことは明白。

 

いやそんなことを言おうとしているのではなくて、夜に読書の時間がとれれば、DVDと相まって作品へのイメージとかアイデアを自然な形でインプットできるので、できればテレビドラマからは離れてしまいたいのだ。

(テレビドラマは完全な受け身。けれどDVD、とりわけ洋モノは、なぜか自分の想像力、創造力が働く素地があると思う。これは、ざっと翻訳を見てはいるが、ほとんどは本編の動きを見ているわけで、それが英語とかフランス語とかになるととてもついて行けずに、そこに想像力でおぎなうという力が働くのかも知れない)

 

1年のめり込んだテレビドラマから離れるということは、闘病生活が1年続いたと、僕の場合は言えることなので、それはそれで喜ばしいことではないかと思っている。

 

このまま終わってたまるかという心の底のエネルギーは、幸いにしてまだ尽きてはおらず、しかしそれはまず10年と考えた方がいいだろうから(ほとんどの作家がそのぐらいから書けなくなる年代。しかし僕は作家としてのスタートは極めて遅かったし、まだ引き出しはいっぱいあるので、もうちょっと長く書けると思っているのだが、それは肝臓その他内臓のご機嫌によるだろう。

 

こうやって考えてみると、妻や子供を含めて離れてゆく人間、疎遠になってしまう知人友人、恋人との別れ、恩師との死別、そうした別れのすべてはその時には苦しみのどん底に落ちてしまったかのような深い悲しみ、絶望感を味わうものであるが、時が経ち、ようやくのことで深淵の縁にまでよじ登って見れば、そもそれは必然であったかのような錯覚――いや確信――を覚えるのだ。

別れ、悲しみ、喪失感といったものは、自分の作家としての引き出しを増やすものであると、多くの先輩作家が言っているけれども、まことにそうであるかも知れないと、この年になってようやく身に染みてわかって来ている。

(だから最近は、あまり感情が大きく揺れ動くことは少なく、息子が自分の連絡先を教えないといって怒髪天を衝く思いに駆られながらも数ヶ月すればそれもまた運命と諦められるようになってきたし、たぶんもう、引き出しを作る時間は十分という状態になって来たのだろうと思う。もうあまり感情を揺さぶらせずに、ひたすら書けというミューズかなにか知らないが、神さまが命じられたことなのかも知れない)

 

さて、今宵はぐっすり寝られますように。