✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■10/8(火) ②穏やかな秋の夕暮れだった……

■西友まで買い物に行った帰り、店で買ったゼロカロリーのC.C.レモンを公園のいつものベンチで飲みながらぼんやりとする。

今日は空がキレイだったあ……

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少し前までは、春と秋とを比べてしまうと、どうしても春という季節に軍配を上げていた。

しかし黄砂の問題もあるし、花粉の問題もあるから、どうかなあと思い始めてから、そうか自分は春というよりも、連休前後の初夏という季節が好きなんだということがわかった。

ところが今年、病気で寝込むことが多くなってくると、今度は初夏の次に諸手を広げて待っている真夏の存在がとても気になって、初夏という季節を十分愉しめなかった。

 

逆に、秋という季節は、その後ろに真冬という存在が控えており、毎日が曇天で、厚く垂れ込めた雲に脅かされて、孤独の心に悪影響を与えられるのがずうっとイヤだった。

だから秋がだんだんと深まっていくと、それだけで心療内科に行きたくなるような(-◇ー;)そんな気分にさえなったものだった。

しかし今年は、半年近い寝た切り状態に影響されたのか、人生の黄昏という周波数にシンクロし始めたのかも知れない、なんだか部屋にこもって読書を重ね、文章を紡ぎ出す作業に没頭するのも、なんだか心落ち着くような気がしてきたのだ。

 

颱風の襲来を別とすれば、秋は風の弱い日も多いし、春のように風が吹き荒れることも少ない。

なんだか年齢的に合っているのは、秋の方じゃないのか。

子供たちと別れ、たった一人で誰もいない埃の積もった実家で暮らし始める少し前から、心療内科に行き始めていたが、こちらに引越して来て2年で、心療内科に行く必要はなくなり、デパス系のクスリとはさようならをした。

夜中まんじりともせず……といったこともやがて無くなり、睡眠薬も必要なくなった。

まだ酒に頼ってあおるように飲むといった悪癖を繰り返してはいたが、それも今回の肝硬変できっぱりと縁を切ることができた。

 

それでも去年まではまだ、夜中に寂しくて目が覚めることもあったし、夜昼かまわず冬のもの悲しさに耐えきれなくなるところまではなかなか治せなかった。

しかし今年の頭から、それまでにも増して疲労感を感じ始めるようになり、それ以外はもう平常かと、比較的近所に住む同業の先輩の方々にご挨拶にうかがったこともあるのだが、皮肉なことにその時の疲れと緊張感と寒さから完全に体力が失われ、きっとそれも関係しているに違いないと思っているのだが、4月にはとうとう倒れて3日間ほとんど意識がなくなり(トイレには行っていたのだが、たぶんずっと同じ日の夜のことなんだと思い込んで意識を失っていたのだと思う)、起きてからも後遺症に驚き果て、ようやくそこからも脱出したと思いきや足が腫れ始め、やがて痛みを伴うようになり、まるで象の足のように膨らんだころから、間違いなく神経過敏となって神経痛が現れたのである。

 

しかしようやくそれも解決の糸口を見つけつつある現在、叩かれ続けてそれでも起き上がってきたことから、精神的にはかなり鍛えられたのではないだろうか、

「冬が愉(タノ)しみ」

という心理状態になったのである。

 

不思議なのは、人間というものは、生まれ月も大きく影響するだろうが、年齢的、心理的な問題から、好きな季節というものが変わりうるのだなあと気がついたこと。

それがようやく、また今年味わえる。

真冬にどんな心理状態になれるか、今から少しわくわくした気持ちでいる。

 

■昨日の『オズの魔法使い』の口直しに、マリーゴールドホテルで会いましょう』を観ているところ。

ちょっと膝が痛くなってきたけど、夕食後1時間弱寝ようと思って寝たからかな。寝起きは痛むことが多いし。

それとも颱風が近づいてきて、低気圧になってきたからか?

ああ、そうか、プラスチック資源ごみを出しに下まで下りなくちゃ。映画が終わるまでに傷みがおさまっているといいんだけど。