✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 7/11(水) ⑨まちがいなく、この国は末期だ。

だいぶ気分が落ち着いたとはいえ、こと子どものこととなると、怒りが爆発してしまう。

なにしろ高校のときから、自分は将来子煩悩になるだろうと思っていたぐらいだから、まことその通りになったというほかない。

 

僕は中学からずうっと、愛国主義者だったし、今でもこの国のことを愛している……と、胸を張って言えなくなっているのだ最近は。正直なところ。

 

なんという卑劣で、心ない大人ばかりの国になってしまったんだろう。

教師の誰ひとりとして今回の痛ましい事件に義憤を感じ、行動に移そうとしない。

教師は教頭の顔色をうかがい、教頭は校長の顔色をうかがい、校長は教育委員会や形骸化したPTAの顔色をうかがい、彼らは市長や県の委員会の顔色をうかがう。

 

中学2年生の子が死んでしまったという事実は、彼らの心の中で、いったいどこへ消えたのだろう。

 

過去のいじめ事件でも、当の担任が教頭や校長に連れられて亡くなった生徒の家に焼香にうかがい、ひたすら沈黙したまま引き上げていくさまがテレビに映し出されたり、これはもはや教師とはいえないだろう。

(また火が付いてしまった(-◇ー;))

 

なぜ、どうして、誰ひとりとして声をあげないのかわからない。

まったく理解できない。

学校や教育委員会からバッシングを受けたり、どこかの学校に異動させられたり、生来の自分の教師としての評価がマイナスになってしまうのが、そんなに怖いのだろうか。

「課長。それはおかしいですよ。社会的に批判されますよ」

民間の企業だったら、たとえ数少なくてもそういう意見が出てくるだろう。

それが東電にせよ独立行政法人にせよ、役所という組織に近づけば近づくほど、人間としての心を失ってゆく。

 

■どうも僕は思うのだが、もともと全国各地でくすぶっていた不満が、この原発問題をきっかけにして、噴き出し始めているような気がする。

どうしようもない閉塞感。

自分たちさえよければいいと思っている役人や準役人たち。

 

原発に賛成している人間の多くと、今回の教育委員会や教師、そして3度にわたる両親の訴えをしりぞけた大津市警察署とは、どこかで重なるところがないか。

「人の心を失っている」

という意味において。