✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ いったいなんのための苦労だったか、人生だったのか……

夜の8時過ぎに帰宅。

やっぱりsyonanからchibaというのは遠いなあ。

行きはまだ通勤時間帯にかかっていて座れそうになかったから、ここで疲れちゃまずいからと、ひさびさのグリーン車。

 

帰りは帰りで、なんだかどっと疲れが出て、それもたとえば運動した後のようなはっきりとした疲れではなく、15年近く続いたローンの苦しみから解放されたという、澱のようにたまった嫌な疲れ。

結局、始発で空いているにもかかわらず、またグリーン車。

 

それもラッキーだったからこれでかろうじて無事決着がついたわけだけど、元妻の弟さんが独身でなく、結婚してどこかに家を買っていたら、子どもたちが住む家は確実に競売にかけられていた。去年は仕事はあっても机にかじりつく体力気力が湧いて来ずに、最低の年収だったから。

これ以上滞納が続けば問題ですと銀行に言われいて、まさに秒読み寸前だった。

 

これで僕になにがあっても子どもたちが家を失う(彼らにとっては故郷を失う)ことはなくなったわけで、もう少し解放感があるかと思っていたけれども、ただひたすら虚無感におそわれただけだった。

 

この15年近く、利息を含めれば2500万円近いお金を払い続けてきたわけで、それはいったいなんのためだったのか、考えれば考えるほどむなしくなる。

自分の名義になるどころか、その家に住むことすら、見に行くことすらできないのに。

 

もちろんその人生を選択したのは自分だし、子どもたちはそれに巻き込まれただけで何の罪もないわけだから、歯を食いしばってがんばって来たんだけれども、終わってみれば、僕は縁もゆかりもない土地で独り暮らし。

そして子どもたちはもう親離れして巣立っていく時期。

 

僕も小さいころはあまり幸せな家庭に育ったとはいえなかったから、自分の子どもたちだけはと思って住宅ローンなど組んでしまったのがそもそもの間違いだし、それ以前に起こり始めていた元妻の酒乱とかヒステリー状態もいずれおさまるだろうと思っていた甘い見通し。

 

もはやなにをグチっても、昔に帰れるわけではないことは十分にわかっている。

けれど、こうなることがもし自分の運命だったとしたら、やはり誰かに(なぜ?)と聞きたくてたまらない。