警察とマスコミの情報発信で、気になること。

ここ何年ぐらいだろう。

テレビのニュースを見ていると、刑事事件などで逮捕された犯人の供述が、あまりにもハンコで押したように表現がおんなじなので、最初は笑っていたが、何年も繰り返されるうちにだんだんと腹が立ってきた。

「現行犯逮捕された安倍晋三(63歳。自称会社員)は、『野田さん宅に忍び込んで、現金を盗んだことは間違いない』と供述しており、永田署は慎重に調べを進める方針」

なんていう警察発表があるかと思えば、

「車内で気を失っているところを救急車で搬送された男は『金を盗んだ後、車で逃走したことは間違いないが、酒に酔っており、どこをどう走ったかよく覚えていない』と供述しており・・・・・・」

とか、

「自転車で走っている時、陰部を露出していたことに間違いはない」

「小学生が自分を馬鹿にしていると思ったので、殴ったことは間違いない」

と、間違いないのオンパレード。

 

全国にいろんな犯罪者がいて、それぞれ犯行の仕方は違うし職業も違うし、教育環境も違うわ、住環境も食事の環境もまるっきり違うのに、どうして語尾に必ず「間違いない」なんて共通語を使うんだ! ?

 

んなわけないだろっての。

悪いけれども酒や薬で頭がいかれてしまって、まともに会話もできなくなってしまった人間が、取調室で急にシャンと背筋を伸ばして、

「行きがかりのサラリーマンを脅し、財布を奪ったことは間違いない」

なんて口調でしゃべるわけないだろ・・・・・

 

これは間違いなく、警察の調書に「雛形(ヒナガタ)」があるからに決まっている。

取り調べに当たった警察官は、その雛形のブランクに文字を埋め込んでいくだけで調書ができあがるようになっているんだと思う。

これはあくまで僕の想像だけど、まず間違いないであろうことは間違いない😓

 

提出しなければならない書類が山積していて、そんなのまともに書いていたら、捜査そのものに支障をきたすことになるから、ある程度は仕方ないことかも知れない。

しかし、文章を生業としている僕としては、その雛形からは、人間の微妙な感じ方、考え方などがすべて排除されてしまい、人間性そのものが雛形にされているという事実がとても不愉快なのだ。

 

もうそろそろやめてくれよ、「間違いない」。

うーん、逆か? もっと広まってくれた方が、みんなでバカにできていいのかな?

「昨日エロDVDを買ったことは間違いない」

とか、

「飲み会が終わる直前に外に出て吐いてくるとか言って店を出て、そのまま金を払わないで帰っちゃったことに間違いない」

とか?

 

しかし警察の業務は、人員が少ないこともあり、クソ忙しいだろうから、ある面仕方が無いところもあると思う。

大昔のように、先輩が手取り足取り後輩を指導するなんてことはできにくくなっているだろうから。

(だからこそ、初動捜査のミスなんかが起こりやすいし、十分な地域パトロールができていない。人数を削減し過ぎなのではないだろうか)

 

僕が頭に来るのは、どちらかというと、共同記者会見に出席して、警察の大本営発表をそのまま文字に起こしてしまう現場記者の劣化。

どのテレビを見ていようが、「~かたことに間違いない」のオンパレードになっているのは、記者が独自の取材をしていないからではないだろうか。

近所に犯人像について心当たりがないか尋ね、伝手をたよって所轄の刑事の自宅にまで取材に赴く。

そうした地道な取材活動があれば、まず筆はそちらがメインになるはずで、警察発表はあくまで付け加えていどにしかならないはずだ。

 

「この犯人像について、我々(ニュースキャスター)はこうではないかという印象を受けたが、警察は被疑者の自白を重視して取り調べをしている模様。

しかし高校時代、ろくに文章も書けなかったような犯人が、「一家4人を殺し、金品を奪ったことはは間違いない」などという言い回しを使うだろうか。ここには警察調書に自白をただ当てはめただけではないかという安易さを感じざるを得ない。

さまざまな犯人像が噂されている現場周辺の状況から、果たして被疑者が真犯人であるのかどうか、警察は十分な検証を続けるべきだと考える」

 

的なしゃべり方があってもいいはずだ。

まさにテレビも新聞も、よほどのことが無い限り、警察の発表をそのまま文字に書き起こして本社に送るのが日常になっていやしないか。

僕はそれが腹立たしくて、「間違いない」という言葉を聞くたびに、イラッとするのである。