■6/15(土) 断酒955日目
■昨夜は寝る準備を這ってやるなど本当にどうなることかと思った。
深夜3時起床。先生にいただいたアミノレバンENというクスリの残りを冷藏庫から出して飲み、また8時まで寝たら、多少良くなった。
……と思いきや、解凍した発芽玄米1/4を食べたところで、レトルトのいわしのしょうが煮などが受け付けられずに朝食断念。
朝飲んだばかりのアミノレバンの栄養にたよっているような形。
このアミノレバンというクスリは必須アミノ酸であるBCAAに、たんぱく質、脂質、糖質、ビタミンなどをプラスしたもの。
前回4.1と、治療を開始してから初めて栄養の吸収率をはかる項目の基準値の範囲内に入った所で、 リーバクトという純粋にBCAAだけのクスリは
「もう要らない。それどころか肝炎自体はもう心配する必要がない」
と主治医が言っていたのだが、カルニチンを飲み始めてからも症状がいくぶんかよくなるのに1カ月半かかり、それでも脳の思考力・集中力や、体の易疲労性がとれないなどと訴えていたのだが,、とにかく先生は
「そんな高いクスリは必要ない」
の一点張り。
どうやら先生は、クスリではなく、食事から体を整えていく方法を採っているようで、それでは間に合わない緊急に近い場合に限ってクスリを出す方針らしい。
しかし4月頭にぶっ倒れて意識障害を起こしたときに、リーバクトあるいは栄養入りのアミノレバンを処方してくれればよかったのに……と少々文句を言いたくなる。
しかし先生は名医には違いなく、どうもやはり十二指腸ガンや大腸ガンなど、他の原因を考え始めているフシがある。
なんらかの原因がなければ、心配する必要がなくなった肝炎の数値が、いきなり悪化することもないだろうと思われるからだ。
(去年胃カメラを飲んだ時には、胃潰瘍を発見。十二指腸潰瘍は自然治癒していたと。内視鏡では大腸にポリープが見つかったが、これは良性であった)
来週から先生にしてはめずらしく、「全身検査」をおこなうと言い始めたのだが、胃カメラ、エコー、内視鏡と7月半ばまではとにかく病院通いで忙しい。
「市役所が引越しを早くしろ、退去日をもう伝えろと言うんですけど……」と訴えたら、
「肝性脳症だとかその他で引越しできるはずがないじゃないか。市役所の人間にオレが言ってやるから治療に専念しろ」
とまで言ってくれた。
この調子で、いまの住居を出ますと通知して、その間に不動産屋めぐりをしてなど、ちょっとあまりにもきつすぎる。僕はあまり弱音を吐かない方なのだが、その僕がツライと訴えていたぐらいなのに、役所はとにかく決められた法律に従うということで、患者の生命だのは二の次ということなのだろう。
昨夜、チキンのステーキにあたった可能性もあると書いたが、その割りには吐きもしないしチキンのことを思い出しても吐き気を催すということも今朝になったらなくなっている。
きっと、全身が弱っている状態で、チキンや今朝のいわしのしょうが煮などを受け付けられなくなっているのが原因ではないかと思うが、念のために、もったいないけれども、チキンの残り(半分以上残した)と、いわしのしょうが煮の残りは捨ててしまった。
■万が一、来週の胃カメラから始まって7月半ばの内視鏡まで、ガンを始めとする重大な疾病が見つかった場合、サイアク、娘とお出かけして楽しく遊ぶということができなくなってしまうかも知れない。
そういう意味では、塾の終わる7月頭から3泊なりで遊びに来て欲しいものだ。
ガンで自宅から通院しながら療養を続けていた元妻のお母さんが、一昨日とうとう入院したらしい。
この夏は越せないだろうというのが医者の意見だし、家族もお別れかなというような様子だそうだ。
立て続けにガンがふたりというのは、娘にはツライだろうし、浪人生活に大きな影響があるだろうから、もう少し頑張りたい。
娘が来春大学に入って社会人となるまで、少なくとも5年間、このまま生きて小説を書いて、少しでも彼女の人生の足しにしたいものだと思っている。
死ぬこと自体はパニックになるほどコワイというわけではないが、それでも痛い痛いと思って死ぬのはイヤだし、子どもたちが打ちのめされしまうのもイヤだ。
アルコール性の脂肪肝から肝硬変に進み、自宅で死んでしまった母親と同い年。
なんだか天国にいる母親が、
「がんばったよ。もう休んでいいから、こっちに来なさい」
と呼んでいるのかも知れないと、ふたたびそんな気持ちになっている。