僕なりの文章修行術⑦
三題話こそ、限りなく近い小説への入り口!
前回の記事を読んでいただければ、想像力のある人だったら、
(あれ? これ、小説書けるんじゃね?)
とひらめいたと思います。
その通り。
単語を3つ集めてひとつのショート・ストーリーに仕上げる修行法をもっと複雑にやっていけば、それはつまり正真正銘、小説の域に達するのだ。
詳しく説明するしましょう。
1)三題話における単語というのは、小説においてはまず「登場人物」であり、時に「事件」である。
<ア>小説の場合、まず3つの単語では少なすぎる。かといって、多すぎるのも小説がまとまらなくなるマイナス要素になるということも考えると、
「最低で5人、最大で10人、あとは通行人などのエキストラ」
ぐらいの規模を考えれば良いのではないだろうか。
<イ>もっと具体的に言うと、前回の記事に例として出した「瞬間接着剤」「口紅」「結婚披露宴」という3つの単語は、実はそれぞれひとつひとつが「登場人物」、キャラクターなんだということである。
あまりいい例ではないかも知れないし、書きたい小説のジャンルであったり好みの問題もあるだろうが、
「瞬間接着剤」……すぐにカッとなりやすい男。ただ、ずばずばと物を言うので煙たがられるという存在でありながら、一方ではケンカの仲裁に入ったりすると、みんなが胸襟を開いて、ケンカどころではなく大の親友となるような不思議な接着剤としての魅力も持っている。
というキャラクターが考えられる。さらなる肉付けは作者それぞれで決めることだろうから、ここではすべてを網羅することは不可能である。
「口紅」……いかにも、だが、髪結いの色っぽい女のキャラクター。主人公に惚れているが、髪結いという、花柳界ではなくてはならない存在のため、常に毅然とした姿勢を崩さないため、芸者などには怖がられているし、茶屋や置屋の女将さんには一目おかれており、
「髪を結うんだったら、秋江のとこにしなさいよ。こっそり他の髪結いなんかにまかせたりしたら、この人形町界隈じゃ芸者としてはやっていけないからね」
と、すべての芸者の髪結いは、秋江とその女弟子たちという不文律が成り立っている。
「結婚披露宴」……幇間を生業としている男だが、実は凄腕の殺し屋で、始末を命じられると得意の話術と芸とで客の機嫌をとって懐に入り込み、芸者の入れ替えなどで客と自分がシンとした座敷に二人きりとなるわずかな瞬間に、耳の中に長い針を打ち込んで殺してしまう。
だが主人公はすぐさま達者な幇間の陰に死にまとわりつく地獄の殺気のようなものを感じ取り、ほぼ同体で小柄(コヅカ)で幇間のこめかみを刺し殺してしまう。
最後のクライマックスでの最後の敵役として、手に汗握るようなやりとりが見所。
と行った具合に登場人物を考えてゆく。
これは三題話の単語カードをそのまま使って練り上げることができるから一石二鳥だ。
これについて、僕が昔から大好きだったレイ・ブラッドベリは、その著書『ブラッドベリがやってくる 小説の愉快』(晶文社)でこのように言っている。
少し長いが読んで欲しい。
そして申し訳ないのですが、生まれて初めてAmazonのアフィリエイトを貼らせていただきます。30円にでもなるのかどうか、自分なりに経験してみたいし、毎日どのぐらい書いて、どのぐらいブログを更新して、たまに印税をもらって、そこから食費を出し光熱費を払い……でも世の中で流行っているアフィリエイトで毎月1万円でも稼げるのかどうか。稼げるとしたら稼ぎたい。月末になると米すら買えないで、同じ団地の仲良しになった奥さんから2合だけお借りして翌月返すなんて生活から少しでも抜け出したいというのが本音のところです。
<(_ _)>
(p102~)
「はたちをいくらか出たころの年に、言葉の連想というプロセスにのこのこ入りこんだのは、おおいに救われることだった。朝起きて、机に向かい、ひょっこり思いつく単語なり連語なりを書きとめる、というだけのことだ。
そうしたら、その言葉は敵か味方か、いずれにしても取っ組み合いで、私にとってどんな重みのある言葉なのか探れるように、しかるべきキャラクターたちを登場させる。一時間か二時間もすれば、自分でもたまげるのだが、新作のストーリーが一丁上がりなのであった。この驚きは、ちっとやそっとの有り難さではなかった。まもなく私は、一生、この調子で仕事をするようになるだろうと思った。
まず私は心の中をかきまわして、言葉さがしをした。私なりの悪夢、子どものころの夜と時への恐怖感を、うまいこと表わせる言葉はないものか。
そして私は、しげしげと見た――青々としたリンゴの木、私が生まれた古い家、祖父母の住まいだった隣家、子どものころ夏ごとに見ていた芝生……というようなものを、そっくり表せる言葉を追いかけた。」
これは本当に驚いた。ウソ偽りなく、自分が面白くてやって来た「単語のカード化」が、大好きだったレイ・ブラッドベリに共通するものであったとは思いもよらなかった。
これまでブラッドベリの作品は、あくまで作品しか読んでいなかったから、数年前に初めて氏の「小説作法」を読んだときに、
(僕のやり方は間違ってなかったんだ!)
と多いに力を得たものだった。
だから、単語を集めて、それをブラッドベリのようにノートに羅列してもいいし、僕のように単語カードを作ってそれをバラしてショート・ストーリーを作るやり方でも良し、こうした習慣を続けていけば、必ずあなたにも小説のひとつやふたつ書ける日がやって来るのです。
もうひとつ、僕がブラッドベリの大ファンになったきっかけとなる短編集(長編は意外とダメなものがある)は,ずいぶん昔に買った(装丁もなにもかもがすっかり新しくなっている)『10月はたそがれの国』(創元SF文庫)という本です。
若い人の中にはブラッドベリの名前も作品も初めて耳にするという人間も多いことと思われますが、ぜひ読んで欲しい本です。
(なお、僕の大好きな短編は、「つぎの番」「みずうみ」「使者」「小さな殺人者」あたりです。星新一の百倍は好きです😓)