✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/17(月) ③無題。

■ 子どもが幼い。夫もしくは妻の希望が大きい。年老いた親と二世帯で住みたい。

例えばそういった事情がない限り、土地を購入して家を建てるという行為は、現在においてはバクチに等しいと言えるだろう。

今回の東北大震災でも、人災であることが明らかな(いったい誰が刑に服したのだろう)福島原発事件、千葉や横浜などの液状化で、苦しんでいるのは多額のローンを組んで持ち家にした家庭である。

家賃を払っている人間は、いつでもどこでも移動することができるが、ローンはどこに逃げ出そうとも追いかけてくる。

収入がなくなるから、会社を辞めて自己破産してしまうという選択もできない。とりわけこの不況下では。

しかも金を湯水のようにばらまいたって、まず人口増にはならないであろう日本では、確実に土地の値段は下がる。

30年もの長い間、借入額の倍近く払わなければならない持ち家派は、今後も天災や人災があるたびに塗炭の苦しみを味わうことになる。

またぞろ住宅減税をという声が業界から聞こえているが、キャッシュで買えない限り、そうした甘い言葉にだまされてはいけないと思う。

 

■ 独りでやって寂しいものとは何だろうと考えたら、バーベキューぐらいしか思いつかなかった。

あとは独りで十分愉しめる。

 

■ 日本は成熟しているから、中国のような暴動は起きないと言っている評論家がいるが、僕は成熟未成熟の問題ではないと思う。

日本人はお上の言うことだから、長いものには巻かれろという村意識から抜け出していないというのが真相だと思う(新・ムラ社会というのだそうだ)。

だとしたら日本は十分未成熟だし、新天地を求めて世界中いたるところに活路を求める中国人は、その点だけは成熟しているのではないだろうか。

戦後の日本は、まるで赤ちゃんが指しゃぶりをしているような気がして鳴らない。

 

■ 17年間勤めた出版社で、心底尊敬に値する編集者はほんの数人に過ぎなかった。

いかにカスが多かったか,ふり返って見て愕然とする。

たまたま持ち込んだ原稿が、そのカス編集者に当たってしまう確率は想像以上に高い。で、想像力もなく、加工能力もなく、代替案を示せない編集者に

「これはうちではダメですね」

と言われたって、ひるむ必要はない。

ただ、運が悪かっただけだ。

優秀な編集者は冒頭の数枚を読んで、著者の構想を聞けばおおよそのできあがりを想像できるし、たとえ使い物にならないと思っても、必ずこうしたらいいんじゃないかというヒントやアイデアを出してくれるはず。

代替案も考えつかずに、ただダメだというだけだったら、編集者なんか猿にでもできる。

すべての作業をフリーランスの編集者や、校正部やら印刷所やらに100パーセント丸投げしてしまったとしても、さほど大差のある本にはなるまい。

 

■ サブのデスクぐらいまでになったとき、人事課から電話がかかってきて、

「同じ大学の先輩を紹介してくれと電話が入っててさ。おまえ出てくれよ」

と言われて、なんだ? と思って話を聞いてみると、

「出版社を受けて編集者になりたいんですが、どんなことをして、どんな勉強をすればいいんですか」

と聞かれ愕然とした。

貴方、メーカーだの商社だの、他の会社とは違うんですよ。そんなこと自分で考えて自分で仕事を作れなければ、編集者なんてやっていけるわけないじゃないですかと言って、

「僕にはお話できることはありませんね」

と電話を切ってしまった。

後から人事部に、

「おまえさあ……」

と言われたけれども、ああ、勘違い人間は出版界にまで進出してきたかと愕然たる思いだった。

編集者は、リクルート活動とはもっとも無縁の位置にある職種で、同じ大学なんてなんの意味も持たないし、いやそもそれ大学を出ている出ていないなんて関係ないのに、それすらわかっていない人間が増えてきたのが信じられなかった。

出版社は水商売。もしくはヤクザな職業。

そんな人間ばかり入社してきたら、たぶんその出版社は終わるだろうし、だからこそ大手出版社の現在の苦境があるんじゃないかと、僕はひそかに想像している。