■わ、忘れてた……工事中だった……(-ω-;)

1日、歯ブラシを新しいものに換えた。

先々月からだけれども、今後はきちんと捨てるべき物は捨てる、新しくすべき物は新しくするよう、メリハリをつけることにした。

歯ブラシなど、以前はヘタをしたら半年も1年も(!)交換しないで使っていたのだが(歯を磨くこと自体さぼっていたため、歯ブラシがへたらない)、今後はそれはやめようと。

それだけのお金も無いというなら別だけれども、わずか百数十円の物を惜しんでどうするんだと、ようやく考えをあらためるようになったのである。

しかも以前はコンパクトな歯ブラシこそ奥歯が磨きやすいと(磨いていないくせに)小さくて安い物を選んでいたのだが、今では高い物順に(と言ってもせいぜい300円代)見ていって、幅広いタイプの「ドでかブラシ」を楽しみながら買うようになっている。

歯ブラシの幅が大きくて、適切な硬さであるならば、周囲の歯茎全体を包み込んでマッサージしてくれるから、とても気持ちがいいことがわかった。

これはコンパクトかつ硬めの歯ブラシでは感じなかった感触。

(同じ「ふつう」という硬さを使っていても、コンパクトなものと幅広のものではまるで感触が違う。幅広いタイプの方がかなり柔らかい)

 

なぜこういうことを始めたのかというと、もちろん歯のため、歯周病対策のためというストレートな目的もあるけれども、

(わずかなお金を惜しんで死んで行くほどバカげたことはない)

ということを、ひしひしと感じ始めたからである。

(たかが歯ブラシ1本のことで……と嘲笑うなかれ)

 

「金は墓の下まで持っていけない」

「児孫のために美田を残さず」

ここ数ヶ月でまたいろいろな事に気がついたが、僕の場合は悲しい哉、

「袖の下に回る子は打たれぬ」

わけにはいかなかった。

 

 

■桜は今日が満開だ。

湘南や鎌倉の辺りは、なぜか桜が満開となる季節が遅くて、今満開という木がいっぱいある。

家賃を払いに銀行まで行くとき、小さな花見をして帰ってきた。

帰ってきたら、佐川急便がすぐさまやってきて、代引きで頼んでおいたASICSのスニーカーを持ってきてくれた。

あざやかな緑色で、こんな派手な靴は初めて買った。

もう世間的には中高年の高年の方に近くなったというのに、若者もびっくりの服や靴を身につけ始めている。

室内でさっそく足を入れて見ると、なんだか部屋の中が春になったような気がした。

これでどこを歩こうかな。

鎌倉は先日久方ぶりに歩いたけれども、桜は満開とは言えなかった。

花時の無情な雨が、強風とともに東京の桜を散らせに通りすぎたとき、湘南や鎌倉のさくらは、じっと咲く機会を待っていたのかも知れない。

東京の桜が見るも無惨に散ってしまったというのに、今日はもういちど、近所をこの新品の靴で歩いて、花を愛でようと思う。

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■次から次へと……

肝臓の調子はその後ますますよろしく、肝臓その他胃から下をぜんぶ見ていただいている主治医の野村喜重郎先生は、鬼の首を獲ったように機嫌が良い。

医者にとっては、もうちょっと酒を呑み続けていたら死んでたような患者を、ここまで治したんだという医者ならではの醍醐味があるんだろう。

 

ブログを休んでいる間にも、糖尿病はひどくなるわ

(現在は薬で完全にコントロールできるようになっていて、HbA1cの値が安定し基準値に収まっているから、そろそろ薬を減らきうかというところまで来たんだけれども。

そもそも甘い物を控えていればもっと早く回復していたはずなのだが、煙草も酒も女もギャンブルもやらないのだから、せめてものストレス解消グッズとして許してもらいたいと思っているのだ。

しかし、まさかインシュリン注射を打つか打たないかまで行っておきながら、ここまで良くなるとは思ってもいなかった。もしかすると耐糖能異常だった可能性だってあるのだから……これまた野村先生、医者冥利に尽きるかのような高笑い(^◇^;)。で、我が輩もご相伴にあずかり、勝利の美酒ならぬ、勝利の饅頭クッキーチョコレートをいただいている次第である)

それに原因するらしく膵炎になるわ、一方では軽い腎臓の障害が起きるわ

(継続して塩分制限――してない(^◇^;)。塩分をあまり控えすぎてもいけないという話も一方にあるので、ドレッシングをサラダにかけるのではなく、ドレッシングを入れた皿に野菜をちょんちょんとつけて食べるとか、卓上塩は使わないとか、酢を多く使って塩分が少なくても物足りなさを感じないようにするとか、ちょいと気をつけていれば今はまだ十分かと。実際その後悪化していないし)、

前立腺が肥大し始めたわ、

(おしっこが出にくかったりいろいろあるけど、今のところは経過観察しか手がない)、

神経障害の薬の量が増え、非麻薬系の鎮痛剤のうち、「トラマール」というこの病気ではごく一般的に用いられる薬の1日摂取量に近いところまで来てしまうわ、

(後は麻薬系の薬しか残っておらず、そんなのに今から耐性がついてしまったら、癌にかかったときどうすんだと思うのだが、目先の痛みには耐えられない)

生まれて初めておでこにヘルペスが広がるわ、

(これがまたしつこくて、内服薬である「バルトレックス」を日おいて2回飲み、ゲンタシンという軟膏を朝晩欠かさず塗ってようやく治ったが――普通は1回で、しかも5日以内で治るものだそう――まだ治らずに押すと痛みを感じたのでもういちど皮膚科に行ってみたら、ろくに診察もしないで「ヘルペスは治った」で話が終わりそうになり、それでもしつこく食い下がったら、脂漏性皮膚炎で顔の皮膚、とりわけ鼻の脇や眉間が赤くただれて皮が剝けたりかゆくなったりする時に使っているものより一段強いステロイド軟膏をもらっただけ。どうも信用できないので、別の皮膚科に行くか検討中)

色々検索して調べていたら、ヘルペスの生残り(もともと絶対に死滅はしないけど)が悪さをしているのではなく、いわゆる「赤ニキビ」が悪さをしているらしいとわかったり、

(皮膚科の先生、少なくともヘルペスではないということは当たっていたけれども、きちんと視診してくれれば別のトラブルがあると気づいたはず――半分藪、半分名医の先生なのだろうか?

評判はいいから、いつも待合室で立って待っている患者がいるほどなのだが。

あるいはアトピーのように重篤な病気に対してしか興味がないのかも知れない――時時そういう“趣味でやっている”としか思えない医者に出くわすことがある。――一説にアトピーは儲かるらしいしね(-◇ー;)

 

その他細かいことを入れたら(喉の付近の血管にプラークが発見される等等)切りがないほどで、このわずか1年の間にも病気が次々と発症しては完治したり寛解したり抱えたまんまだったりして、とても野村先生のように高笑いできる状態ではない。

しかしこのおでこの出来物は無意識のうちに押したりひっかいたりしてしまうと痛くてたまらず、たぶん赤ニキビだと思うのだが、そうなると主犯はアクネ菌ということになる。

しかしこの菌を思われるが、殺してしまうと常在菌としてガードマンの役目も果しているから完全に滅ぼしてしまうわけにもいかないし、かといって洗顔だけでは乾燥してきてヒリヒリするし、じゃあ化粧水は塗って良いのかといえば、使うなというサイトもあれば積極的に使うべしというサイトもあったり、ダチョウの卵から抽出した成分を配合した化粧品があるというところに行き着いたが、無料サンプルとやらを取寄せてみようかと思ったら、元元の値段が3点セットで1万7000円もするシロモノなので、後から営業の電話がうるさいだろうからやめておこうとか――こんなことをしているだけで、あっという間に半日が過ぎ去ってしまう。

肝硬変になったことで、元元平均寿命まで生きられるかどうかわからない上に、実は肝臓をやられると周囲の内臓はもちろん、お肌や爪に至るまでトラブルが山のように出て来るという踏んだり蹴ったりの状態。

(ブログのタイトル、戻すかな……)

まあよくも、次から次へと……

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■頭の中は創作でいっぱい。

以前のように毎日ブログを、それも大量に書く気が起こらない。

考えていることいえば、ひたすら作品のこと。そしてそろそろ見えて来た自分の最期のこと。後に残る子供たちのこと。

もうそれでいっぱいなんだろう。

気力と体力の歯車がようやくかみ合って来たと思ったら、なんだか頭の中を占めていた雑念のようなものが溶けて消えていくような感覚におそわれた。

と、同時に、ブログを書こうという気持ちが起こらなくなった。

起こらないから、「何を書こう」と考えない。

「何を書こう」と考える脳細胞に、ブログが入り込む隙間はないみたいだ。

いいこと、だと思う。

何か大事なことを人に知らせたいという気持ちのある人。

自分が集めてきた物(文字通り物質から、写真・動画の類まですべて含まれる)、資料(史料)、理論、情報など、伝えるべき、そして後生に残しておきたい何かを持っている人以外の、書いても書かなくても大した影響のない事柄は、自然消滅するし、脳内からも消え去る運命にあるんだと思う。

(その日記自体が貴重な資料となる場合は別だけれども。代表的なのは戦時日記で、この類は誰もが書いて残しておくべきだろう。今で言えば東北の大震災であるとか、原発で過酷な人生を送らざるをえない状態となっている人とか、その人、その場所でしか知り得ないことは、なんとかして残しておいて欲しいものだ……)

 

結局僕の書いていたブログなど、ただのなぐさみに過ぎなかったんだなあと、最初からわかっていたはずの事実を再確認している今日このごろ。

だから時時、書いても書かなくてもおんなじ、みたいな日記を書いていけばいいやと思っている。

(こうしている時間すら、早く作品のことに戻りたい……)

■人生の山は、越えつつあるが、次第に強くなる無力感。

去年の1月、このブログを休みにしてからすぐ、下の子ども(娘)が、一年間の浪人生活を終え、無事、大学に入学してくれた。

第一志望は落ちたけれども、それはその大学のOBであるこの僕が、

「早稲田だけはやめろ。あんなに面倒見の悪く、マンモス校の悪いところをぜんぶ兼ね備えたような大学、行ってもなんにもならない」

と強く反対した当の早稲田だったのである。

けれども、娘は、

「大学を決めるのはわたしでしょ」

と言い張って聞かず(この頑固で自己主張の強いところは、いったい誰に似たんだ? )、結局は口をつぐんだのだが、

(口をつぐむというより、自分に都合の悪いことや、聞きたくないこと、不快に思うことだと、一切メールが返ってこない(-◇ー;)から、事実上僕は口を封じられたも同然なのだ)。

結果として第一志望に落ちたと落胆した電話がかかってきたとき、思わず、

「ざまあみろ!」

と言いそうになったが、内心で万歳三唱をしていたことは娘には秘密内緒だ。

 

その後僕に異変が起きた。

――すっかり、力が抜けてしまったのである。

理由はわからないが、なにもする気が起こらない。

洗濯も、掃除も、料理も、それまでごく自然に続けて来たことが、手につかない。

後からふり返ってみれば、

(ああ、これで人生のいちばん高い山を越えられた……)

と思ったからだろう。

貯金もなにもかも、すべて娘の塾代、参考書代に消え、僕はと言えば欲しい本も買えず、甘い物が欲しい時には砂糖を舐めて茶をすすっておやつ代わりにしていたこともある。

それでも小学校卒業したときには父親が消えていたという寂しさを思うと、できる限りのことをしてやりたくて、無我夢中だった。

 

これを燃え尽き症候群というのだかなんだか知らないが、まだ体が十分に回復しないことから、仕事も進まず、

(執筆業というのは、体力がすべてというのは、病弱になってみて初めてわかる事実である。体力がともなわなければ、未知の世界を創造するだけのきわめて熾烈な精神力が湧いて来ないのだ)

僕は一種腑抜けのようになった。

手当たり次第に本に手を伸ばしても長続きせず、次から次へと積ん読が増えたかと思えば、この年になって突然ファッションに俄然興味が湧いてきて、『Safari』だの『UOMO』だの『LEON』だのといった雑誌を、毎月端から端まで読み漁った。

(おかげで、ファッションに関する造詣はだいぶ深まった。まだ生地と織り方についてはちんぷんかんぷんで、どうせここまで来たのなら、徹底的に知り尽くすのみと思っている)

 

しかしそれも

「自己逃避ではないのか?」

と言われたら、否定しようがない。

そしてもうひとついけないことに、元々人嫌いであった性格がますますひどいものとなり、1週間に1度も他人と話をしないことも多くなった。

昨年の夏、果してなにをしてすごしていたか、まったく思い出せない。

わずかに9月になって、娘が遊びに来てくれて、ハッと意識が戻ったぐらいのものである。

つまり僕は、去年一年間、死んだも同然だった。

いや――事実上、死んでいた。