結婚してはいけない。

もし中高年になってから心穏やかに過ごしたかったら、結婚しないこと。

とにかくそれに尽きる。

 

男性の多くが、若いうちはそれじゃ寂しいとどこか母親役を選んで結婚することが多いけれども、その際、

「女は中高年になったら、まるですれっからしのようになる確率が非常に高い」

,ということを覚えておいた方がいい。

可愛さや恥じらいなど微塵も感じられぬ、これでも同じ人間かという感じなのだ。

 

この劇的とも言える変化は、男にはあり得ない。

男は大人しく穏やかな方向に変わっていくが(つまり枯れていくということ)、女はまるっきり逆だと覚えておいた方がいい(枯れる間際に狂い咲く)。

 

確かに子どもがいないという寂しさはあるけれども、欲しくても生まれなかったとか、あるいは性格が合わずにいつの間にか疎遠になってしまったりとか、そうした境遇にいる男性など、珍しくもなんともないのだから、徐々にあきらめていった方が良い。

(己の悩みは克服できるが、女房という生き物だけは克服できない)

 

腫れ物に触るようにして女房とおどおど生活していく上に、ろくに返事もしないようなまるで他人のごとき子どもなど背負ったら、死んだ方がマシとさえ思えてくる。

(本当にたまたま素直で親思いの優しい子どもに育ったら育ったで、こんどは行く末が心配でたまらないという煩悩に苦しめられる)

 

「外面化菩薩内面如夜叉」

 

華厳経に載っている言葉だと聞くが、平安時代からすでに女に関してそんなことが言われていたと言うのだから、これはもう間違いがないだろう。

 

晩年を楽しく生きたいのなら、とにかく結婚しないこと。

それに尽きる。

 

 

 

 

 

 

不吉な予感。

仕事をしながらふと思いついたことだが、大阪富田林署から逃げ出した樋田淳也容疑者。

2週間たってもつかまらないとなると、空き家に潜伏しているわけじゃなく、お年寄りや女子学生など、力の弱い人間しか住んでいない家に押し入って、家人を人質にとりながら食事の買い物をさせながら、押し込み強盗化しちゃってんじゃないの? ということ。

 

しかし警察庁長官まで記者会見に出てきて謝罪しているにもかかわらず、当の富田林署の署長って出てきてないよな、たぶん。

この署長が、どうやって県警や警察庁に報告しようか、などと迷って10時間だったか連絡しなかった原因でしょう。

だとしたら、真っ先に謝るべきは、署の刑事部長だのなんだのじゃなくて、署長自ら出てくるべきなんじゃないのかと。

当初からそう思ってたけど、もしかすると警察庁長官の怒りが沸騰して、

「お前は出てくるな、この役立たずめ!」

てな強い叱責を受けて謹慎してるんじゃないの?

それだけ警察の中枢部の怒りはすさまじいと・・・・・・

 

前例が続いてたから、美容整形なんてできないだろうし、防犯カメラの性能や設置箇所の増加は過去の逃走事件時に比べれば雲泥の差だろうし。

押し入り強盗化していないことを願うばかりだなあ・・・・・・

ようやく人物相関図まで終わったけど・・・・・・

長かった。

 

大ざっぱに考えてあった時代背景と、歴史的事実とを組み合わせ、そこに主人公以下の架空の人物を当てはめていき、傍らの年表をにらみながら、摺り合わせを繰り返す。

ここまでがいちばん時間がかかる。

 

すべてを架空の物語で済ませるならラクなのだが、話に重みを持たせるためには、その時の時代背景が必要となってくるのだ。

将軍。その時の大老、老中、側用人。

ここがライトノベルスとは最も違う点。

 

もし時代背景の比重を減らすならば、その分ストーリーに厚みが必要。

ストーリーひとつで読者を泣かせ、笑わせるには、相当な力量が要求されると思う。

ラストの虚無感、あるいは至福の感覚。

その点、この年になってもまったく自信が持てないし、自信が持てないレベルだからこそ売れないのであるが(^_^;)。

 

歴史的背景とは、どんなにあがいても突破できない時代の流れであったり、あるいはそこを突き破った虚無的な笑いであったり・・・・・・書き方や組み合わせは自由にして無限だが、忘れてはならないのは、

「読者は王である」

ということ。

構想やら叙述やらは自由にして無限であっても、王様が飽きてしまっては言語道断。どんなに優れた物語であったとしても、物語はその時点で終わってしまう。

我らは王の僕(シモベ)にすぎないのだから。

 

さて、大病を乗り越えるまでにちょうど5年、衰えた筆力に鞭を当て、以前であればそこでアルコールを入れて脳内に妄想というエネルギーを注入するのであるが、今やそれもできず。

 

衰えたりといえども冴えた頭で、荒唐無稽な世界を生きてゆくための土台作りを重ねる。

世界が構築出来る前に飛び込んだりすると、その世界にとっては異質な分子である我々は、手痛い反撃を受けるか、場合によっては消滅させられる。

(売れっ子が締め切りに追われて苦しむのは、まさにそこである。世界が構築できぬまま、見切り発車で架空の世界に飛び込まないと間に合わないからという向こうにしてみれば身勝手な理由で飛び込んだりすれば、弾かれても当然だろう)

そして、それらがうまくいったと思いきや、王様が途中で欠伸でもしたら、その時点ですべての努力は消し飛ぶ。

残酷な世界だ。

その残酷な世界への第一歩が、まる一年かかってようやく完成にこぎ着いた。

 

 

 

もっと気になること。

いまや飛ぶ鳥落とす勢いの林修氏が、ゴキブリのCMに出演しているけれども、そのはるか以前から、

「ゴキブリが毒に冒されて巣に逃げ帰り、それを他のゴキブリが共食いして、毒が巣全体に広がって群れが全滅する」

という薬剤はあったはずだ。

もう何年も(十数年かも)前からそうした薬剤について気になっていたことを、林氏が思い出させてくれた。

 

「全滅したゴキブリは、その後どうなったんだ!?」

 

という疑問。

共食いした群れのゴキブリは、いったいどこでどうやって死ぬんだろう。

苦しくて巣に戻ったのだからして、そんなに遠くまでは行けないはず。逃げ出そうにも毒が回って力尽き、共食いされてお仕舞いになるのだろうが、死骸が綺麗さっぱり跡形もなく食べられてしまうとは考えにくい。

 

前に住んでいたマンションでよく見たのは、夜行性であるらしいカナブンの「死骸の残骸」が、大量に階段や踊り場に散らばっている光景。

どうやら朝一番で起き出してきた野鳥が、

「美味しそうな朝ご飯が、また今日もこんなにいっぱい!」

と喜び勇んで食べてしまうのだろうが、鳥どもはちゃあんと美味しい部分とまずい部分とを知っていて、羽とか肢(あし)頭とか、食べても固くて美味しくなさそうなところをぜんぶ残していた。

 

ということは・・・・・・共食いだっておなじ事が言えるんじゃないのか。

仲間の美味しい部分だけ食べて、あとは食べない。

そうこうするうちに自分も食べられて、残骸だけの姿となる。

これが繰り返されて全滅するとなると・・・・・・ゴキブリの巣がありそうな冷蔵庫の真下とかに、残骸、ミイラ化した死骸が、びっしりと、びーしりと貼りついて残っているんじゃないの???

 

すっごく恐いぞ。

 

警察とマスコミの情報発信で、気になること。

ここ何年ぐらいだろう。

テレビのニュースを見ていると、刑事事件などで逮捕された犯人の供述が、あまりにもハンコで押したように表現がおんなじなので、最初は笑っていたが、何年も繰り返されるうちにだんだんと腹が立ってきた。

「現行犯逮捕された安倍晋三(63歳。自称会社員)は、『野田さん宅に忍び込んで、現金を盗んだことは間違いない』と供述しており、永田署は慎重に調べを進める方針」

なんていう警察発表があるかと思えば、

「車内で気を失っているところを救急車で搬送された男は『金を盗んだ後、車で逃走したことは間違いないが、酒に酔っており、どこをどう走ったかよく覚えていない』と供述しており・・・・・・」

とか、

「自転車で走っている時、陰部を露出していたことに間違いはない」

「小学生が自分を馬鹿にしていると思ったので、殴ったことは間違いない」

と、間違いないのオンパレード。

 

全国にいろんな犯罪者がいて、それぞれ犯行の仕方は違うし職業も違うし、教育環境も違うわ、住環境も食事の環境もまるっきり違うのに、どうして語尾に必ず「間違いない」なんて共通語を使うんだ! ?

 

んなわけないだろっての。

悪いけれども酒や薬で頭がいかれてしまって、まともに会話もできなくなってしまった人間が、取調室で急にシャンと背筋を伸ばして、

「行きがかりのサラリーマンを脅し、財布を奪ったことは間違いない」

なんて口調でしゃべるわけないだろ・・・・・

 

これは間違いなく、警察の調書に「雛形(ヒナガタ)」があるからに決まっている。

取り調べに当たった警察官は、その雛形のブランクに文字を埋め込んでいくだけで調書ができあがるようになっているんだと思う。

これはあくまで僕の想像だけど、まず間違いないであろうことは間違いない😓

 

提出しなければならない書類が山積していて、そんなのまともに書いていたら、捜査そのものに支障をきたすことになるから、ある程度は仕方ないことかも知れない。

しかし、文章を生業としている僕としては、その雛形からは、人間の微妙な感じ方、考え方などがすべて排除されてしまい、人間性そのものが雛形にされているという事実がとても不愉快なのだ。

 

もうそろそろやめてくれよ、「間違いない」。

うーん、逆か? もっと広まってくれた方が、みんなでバカにできていいのかな?

「昨日エロDVDを買ったことは間違いない」

とか、

「飲み会が終わる直前に外に出て吐いてくるとか言って店を出て、そのまま金を払わないで帰っちゃったことに間違いない」

とか?

 

しかし警察の業務は、人員が少ないこともあり、クソ忙しいだろうから、ある面仕方が無いところもあると思う。

大昔のように、先輩が手取り足取り後輩を指導するなんてことはできにくくなっているだろうから。

(だからこそ、初動捜査のミスなんかが起こりやすいし、十分な地域パトロールができていない。人数を削減し過ぎなのではないだろうか)

 

僕が頭に来るのは、どちらかというと、共同記者会見に出席して、警察の大本営発表をそのまま文字に起こしてしまう現場記者の劣化。

どのテレビを見ていようが、「~かたことに間違いない」のオンパレードになっているのは、記者が独自の取材をしていないからではないだろうか。

近所に犯人像について心当たりがないか尋ね、伝手をたよって所轄の刑事の自宅にまで取材に赴く。

そうした地道な取材活動があれば、まず筆はそちらがメインになるはずで、警察発表はあくまで付け加えていどにしかならないはずだ。

 

「この犯人像について、我々(ニュースキャスター)はこうではないかという印象を受けたが、警察は被疑者の自白を重視して取り調べをしている模様。

しかし高校時代、ろくに文章も書けなかったような犯人が、「一家4人を殺し、金品を奪ったことはは間違いない」などという言い回しを使うだろうか。ここには警察調書に自白をただ当てはめただけではないかという安易さを感じざるを得ない。

さまざまな犯人像が噂されている現場周辺の状況から、果たして被疑者が真犯人であるのかどうか、警察は十分な検証を続けるべきだと考える」

 

的なしゃべり方があってもいいはずだ。

まさにテレビも新聞も、よほどのことが無い限り、警察の発表をそのまま文字に書き起こして本社に送るのが日常になっていやしないか。

僕はそれが腹立たしくて、「間違いない」という言葉を聞くたびに、イラッとするのである。