復活中・・・・・・

肝硬変を患い、10年という長き闘いが一応の終息を見たかと思いきや、2年半前、ごく軽くて済んだけれども脳梗塞の発作を味わい、さらにはこれまで何度も経験している高アンモニア血症で肝性脳症を起こし夜中に部屋の中でぶっ倒れるなど(2週間前に床に積んであった重たい雑誌に倒れて打ったあばら骨がまだ痛い)、さて捲土重来と思った矢先に、

「我が存在を忘れるな」

とばかりに病気が顔を出すのだけれども、それでも机にしがみついていたら、ようやく、本当にようやく筆がうまく着地し、文章が進み始めて、現在は同時に2つのまったく違うジャンルが同時並行で進んでいる。

寿命で死ぬまであと10年というときに、よくぞ復活してくれた。

やはり守護霊というのはいるんじゃないかと思うし、来週は相模国の一ノ宮である寒川神社に詣で、昇殿してお祓いをしてもらおうと考えている。

 

振り返ってみればこんなにくだらない人生をとつい気分がふさぎがちになるけれども、人間は馬鹿だから、その時その時の感情がもっとも強く感じられるわけで、だから最期に笑って死ねればそれで良しと思って土塊に返るまで背筋を伸ばすのだ。

 

それをしなければ、最後の最後まで、

(ああ、あの時こうしなければ)

或いは、

(あの時こうしていれば)

と後悔の渦に巻かれて死ぬことになる。

笑って死ぬには、前だけ見て、よろよろとでもいいから足を運び続けること。

それしかないのだ。

まったくもう井上尚也ったら。

もう強過ぎちゃって、台所で顔を洗面し、泡を流し落としている最中にKOしちゃってるじゃないのよまったくもう・・・・・・楽しみにしてたのにぃ。

 

しかしすごいな、具志堅用高以来、とんでもない天才の出現を僕らは目の当たりにしている。

イギリス人の日本びいきもさらに拍車がかかるだろう。

独身男性諸君がこの世でいちばん不幸にならないために。   「結婚してはいけない」②

映画でもドラマでも小説でも、ありとあらゆるジャンルにおいて、人生の先輩(言わば先学ね)たちが口をそろえて

「結婚なんかするな」

と言っているのは、本当に後学の諸君の身を案じてのことなのだ。

 

なぜかと言えば、結婚した途端に、女はがらっと性格が変わる。

僕の友人はこれを

「性格100倍說」

とタイトルづけてしゃべっていた。

どういうことかというと、例えば彼女が怒ったときの態度。

これが結婚をすると100倍キツい怒り方になるという意味だ。

怒る怒らないだけじゃもちろんない。

ありとあらゆることについて性格が100倍に増長してくるから、それまで猫をかぶっていてわからなかったこと、或いは惚れた女の甘える姿に惑わされて見えなかった欠点も、とてもクリアに見えてくる。

恋は盲目と言われるけれども、これまた本当に真実であって、いささかの間違いもない。

 

この女の変身に堪えられるのは、若い男じゃとても無理。

正直、完全に尻に敷かれる(なんかケツにかかわる話が多いな・・・・・・)。

 

娘の小学校最後の運動会。

木陰なのに、根元が盛り上がっているから、競技の見通しの良い席があって、毎年取り合いになっているのだが、

(この、子どもの運動会に殺気だち、朝の6時なら6時、青いシートをいつでも広げられるようにして門の前で押し合いへし合いをしながら時間を過し(何時間待っているのか知らない)、門が開けられるやいなや、目を血走らせながらお目当ての場所をとろうといっせいに駆け出す親たちの姿ほど醜いものはない。

女親が転んで倒れても見て見ぬ振りをしながら人をかき分けて走る男親は、傍して会社で出世できない憂さ晴らしでもしているのだろうか。

(以前住んでいた家の二階から、校庭が丸見えだった)

醜い。

本当に醜い。

自分で自分の醜さに気がつかないのだろうか。

校長の挨拶が8時半に始まるとしたら、その少し前にゆったりと歩きながら、空いているところに夫婦と子ども、親夫婦が座れるぐらいの小さなスペースをとっている上品な家族の方が、たぶんIQも高いだろうし、教養もあるだろうし、会社で平均以上に出世している家の人間が多いんじゃないかと思う。

 

その席に陣取った若い夫婦から毎年同じような声が漏れてくるのは、

「おい。もしかしてもうビールないのかよ」

という男親の声と、

「昼間っからビールなんて、500㎜1本あれば十分なんだよ」

という鬼のような態度の悪い妻の返事。

 

若い独身男性諸君は、こうやって飲みたいビールも飲めないし、そこから類推するに、完全に財布を握られてしまって、1日のお小遣い何百円とか決められているんだろうなと想像していた。

そう。

君もその仲間入りをする資格は十分にあるのだ。

 

僕だったらそんな妻を女として抱く気になれないし、事実、半年ぐらいでセックスレスになってしまった。

オナニーした方がよっぽど気持ちがいいし、気兼ねがない。

いや、仕事で疲れ切って、オナニーどころか5分でも布団で寝ていたいのだが。

 

結婚式はセックスレス化を宣言する祝福と同じだと考えていい。

独身でい続けてもセックスはできるし、女はきちんと化粧をしてかいがいしくビールなど注いでくれるし、こんな気持ち良いことはない。

たとえセックスフレンドではなくとも、女にはそういう結婚までは男にサービスするという本能がそなわっているから、ただの友だちでも、1対1のデートに応じてくれる女性に不快感はないはずだ。

 

君の彼女、性格が100倍増長されると想像して欲しい。

傍して自分はそれに堪えられるだろうかと。

肝硬変でも脳梗塞でも、体は鍛えられる。

 

オケツの続きじゃないけど、この飽きっぽい自分が、今だに朝6時半のテレビ体操を続けていることに驚くし、最初は走るどころじゃなかった膝関節から脚全体の筋肉の衰えを克服し、今では超スロージョギングながらも30分間走り続けられるようになったことも驚きだ。

こんな年齢になっても、無理せずに鍛え続ければ、それなりに筋肉もつくし、それに従って関節も強化される。

昨日などこの超スロージョギングをやりながら(LSD=ロング・スロー・ディスタンス 長い時間ゆっくりと走り続けて、なるべく長い距離を移動する練習法)、翌朝体組成計に乗って、体重、体脂肪率、皮下脂肪率、内臓脂肪レベル、BMI、筋肉レベル、骨レベルなどを測定するのが楽しみになっている。

 

体年齢のレベルなど、実年齢より10年も若いなんて結果が出てくるから大いに気分を良くしているし、胃から肝臓、胆嚢、膵臓、腎臓と来て腸にいたるまで毎月すべてを診ていただいている主治医のおじいちゃん先生など、聴診器を当てながらびっくりしたように、

「また体が若返ったし、第一君、髪の毛が増えたんじゃないのか?」

などと言ってくれるので、ますます気を良くしている。

 

一時は死ぬかというところまで行った肝臓や、その後起こした軽い脳梗塞を次々と乗り越えながら、克服にとどまらず「無理をせずに、チンタラと」体を適度に鍛え続けている。

とにかく細胞が寿命の限界を迎えて体の維持機能が失われるまで、生きていこうと思っている。

ケツが痛くて仕事進まず。

持病となってしまったケツの痛さに堪えられず、椅子に座れる時間が30分限度となってしまった・・・・・・その後は1時間2時間敷きっぱなしの布団に横になって本を読んだりdTVから選んだ映画を見たり、ジョギングしたりと、時間があまりに小刻み過ぎて仕事が進まない。

 

3月末には1万円弱のオフィスチェアを買うつもりだし、再来月にはスタンディングデスクを試しに買って、立って書く姿勢に挑戦しようかと思っている。

今座っているオフィスチェアのバロンも、確か15万円ぐらいで買ったのだが、さすがに10年以上使っていると座面がヘタレてしまったのだが、メッシュというのは耐久性がないと思うので、これから買おうと思ってる人はやめた方がいいかと。

今は椅子の値段がホントに安くなり、種類も豊富になっているいい時代だから、ふかふかの椅子を1万円ぐらいでどんどん買い換えていった方が安く快適に座れるようになっているらしい。

僕が買おうとしているのも楽天市場で見つけた9980円のものだけれども、バロンチェアが15年もたないことを考えると、やはり1万円の椅子を1年間座れればいいやというチョイスをした方がずっといいんじゃないかと。

本棚に昔の小説家の書斎を取材した本があるのだが、やはり皆さんオケツの痛みには苦しんでいたらしく、ある人は虎の毛皮みたいなものを敷いたり、白いムートンを畳んで置いたり、中央部に穴のあいた丸い座布団を重ねたりと、涙ぐましい苦闘の歴史が垣間見えるのである。もっと若い頃は、本棚と机に目が行ったものだが、今じゃ椅子とその上に敷いた座布団類に目が行くようになってしまったのは、我ながらなんだかちょっぴり哀しい。

今も記事を書き込みながら、尻の痛さを思い出しては座り直して、を繰り返しているのだが、これじゃ原稿が進まなくても当たり前。

 

小説家には才能が枯渇して筆を擱くというタイム・リミットがあるらしいが、実は本当のところ、才能の枯渇ではなく尻の痛みじゃあないだろうかと疑うようになっている。

いずれにしても、もう寿命的にもせいぜいがあと10年ぐらいしか書けないと思うけれど、そこへ行くと、西村京太郎氏の場所を選ばない書き方というスタイルを尊敬せざるを得ないな、しかし。

 

若くして肝臓で亡くなった松智洋さんというライトノベルス作家が、「文筆業に捧げる十か条(プロ用)」に於いて、

「小説家なんか、文章を書くことを至上の喜びとするか、他にできることがない人以外は、就くべきではない」

と書いているが、まことにその通り、因果な仕事である。

 

家族がいながら孤独で、常に締切りや病気との闘いに明け暮れ、寿命をすり減らしてゆくのが小説家であるということだが、ここに誰も書き残していない要素として「ケツの痛みの耐えがたさ」に気づいた我が輩は、まあまあ才能には恵まれていたんじゃないの? などと自己満足しながら、毎日臀部の筋肉をいまいちど盛り上げようと懸命の努力をしている自分は、なんてかわいいヤツと思う今日この頃なのである。

ああ・・・・・・ケツ痛え・・・・・・。