✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

自粛は悪いことばかりじゃない。

ゴールデンウィークの最中に、司馬遼太郎氏の『尻啖え孫市』を読了した。いつか読もうと思って、何年も積ん読状態になっていた作品だ。

もし自粛がなかったなら、きっと何回かは横浜とかに出歩いて遊んだ日もあっただろうと思う。

そして、分厚い本を一冊読み上げる時間もなかっただろう。

 

世の中すべての商売が同時に儲かるということは、残念ながらありえない。理想的には穏やかなインフレ状態が続けば世の中すべてが恩恵を受けることはあり得るが、それでも社会構造上の敵対状態、すなわち

「こちらを立てればあちらがたたず」

ということはどうしても生じてしまうのだ。

例えば飲食業界にとっては大打撃であるけれども、会社帰りの行きたくもない飲み会に行く必要がなく、家に閉じ籠もって好きな読書や勉強をするという恩恵を受けるグループだってあるのだ。

こういう喩え方もある。

バクチが大好きで、外出自粛のお願いが出ても、朝早くからパチンコ店に行列ができたわけだが、もしここでふたたび武漢熱(新型コロナウイルスと呼びたくはない)が勢いを盛り返したら、パチンコ業界のために、また自粛しなければならなくなる他の業界にとってはこれは完全に“敵の業界”であるに違いない。

 

日本は和を以て貴しとなすが、それだけでは解決できない業界間戦争は起きるだろうし、起こさなければならない。

日本は江戸時代、基本的に博奕は御法度だったはずで、これが害毒をもたらし、飲食業から呉服業から運送業からすべてが迷惑をこうむるとなったならば、これは日本には不要の業界であろう。

(ただし自粛によって感染者数が減ったわけではないという学説も出て来ているが)

今後のカジノ構想を含め、日本にはもっと必要な産業がたくさんあるはずだ。

それこそワクチンの開発、若者離れが叫ばれている基礎研究の分野、食糧自給率アップのための投資などなど、やるべきことは山積みだ。

 

バクチをやりたければ、お隣韓国でもマカオでも行けばいい。

日本には江戸時代から維持してきた「健全な生活」という世界に誇る生き方があったではないか。

 この機会に、自分の生き方は自分で決める「良き自粛文化」を再構築してみても良いのではないだろうか。

尻啖え孫市(上) 新装版 (角川文庫)

尻啖え孫市(上) 新装版 (角川文庫)

 

 

尻啖え孫市 新装版(下) (角川文庫)

尻啖え孫市 新装版(下) (角川文庫)