✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

すべてを超越した生き方が、静に進行しつつある。

「結婚なんかしてたまるか」

と決心するに当たって、問題となり得るのは、まずは

「子供を持てない」

ということ。

「いや、持てないんじゃないんだ。持たないんだ」

という意志のはっきりした強い男性もいるし、芸能人なんか見ていると、以前より自分が納得した上での生涯独身組がめっきり増えたような気がする。

これは恐らく、男女お年頃になったら結婚して……という男が作り出した社会の常識に対する反発が、女に続いてようやく作り出した男側にも浸透してきからではないだろうか。

こうした風潮も、いまやごくふつうのこと、当然の考え方になリッツあるのだから、

「子供にはさほど興味がない」

「仕事で疲れた身を引きずって、さらに子育てなんかしたくない」

と思っている男性は、堂々と主張すればいいのである。

「僕は独身主義ですから、結婚に興味はありません

と。

 

つまり現代社会においては、

「結婚するか。もし結婚して子供ができたら、子育てに協力する――すなわち自分の時間を犠牲にする覚悟はあるか」

あるいは、

「結婚して相手の女性に支配され、貴重な時間を奪われるんだったら、生涯一人でいた方がいい」

という生き方を選ぶのか、二者択一に近い状況になっているということである。

 

これは、女が長年強いられていた「男尊女卑」の社会から解放されてきたのと同じように、男の方も“行き過ぎた女性解放運動、社会的権利獲得運動”から解放されるチャンスを与えられたとも言えるのである。

 

しかも子供の問題などは、性的マイノリティの人間たちはとっくのとうにひとつの回答――というよりあきらめの感覚もふくんだ上での人生観――を得ているのであり、その程度の問題は、

「いまさらなに甘えたこと言ってんの」

と笑われてオシマイ、であろう。

 

しかしながら、これまでの社会常識にのっとって育ち育てられた男子

にとっては、細胞レベル、遺伝子レベルからして元元が女性優位であるという想像だにしなかった事態が突如として顕在化したことに対して心と頭の準備ができていないのだということを察してあげる優しさもあっていいのではないだろうか。遅れてきた者を温かく受け入れるという大人の態度があってもいいのではないだろうか。

彼らはこれらの根本的問題について、

「オトコはこうこう、こうあるべきだ」

と教育されてきたのだから、なかなか気づくのが遅い上に、結婚して何十年かたった後に初めて、

「オトコの奴隷化」

に気づき、しかし後悔したときにはもう、育ち盛りの子供たちの面倒をみなければならないという現実にがんじがらめになってしまうという残酷な立場を背負わされているのだから。

 

しかし実はここに来て、こうした性的マジョリティやマイノリティ、社会的常識と非常識、あるいは男女同権と役割分担の再割り振りなどといった定義や問題とはまったく次元の違った生き方が、静に進行しつつあるということをごぞんじだろうか?

 

それは、さまざまな問題をはるかに越えたところにある男性の種馬化という、すべての不公平や不満を吸収してしまった上での、究極的な寄生なのである。