✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

大手出版社が相手にしないジャンルの本はまだまだある。

大手出版社にとって、新書や文庫の最低部数は、およそ1万部と考えておいて良い。

それ以下の部数だと、取次を通して全国の小書店にまで本が行き渡らないという不可避の問題があって、ジュンク堂であるとか有隣堂であるとか、これまた大手の書店グループにしか配本しないというのではマズイという「社会的責任」みたいなものがあるのだ。

しかし1万部では、大手出版社の社員が高給を食むには到底足りないし、かといって何十万部刷ったとしたら、在庫の山が積み上がるだけで、埼玉県の朝霞市などが有名だが、広い土地を買って大倉庫を建てなければならないし、紙代からインク代、製本代、広告費、などの負の試算が増える一方なのだから、出版業が不況の現在、おいそれと刷るわけにはいかない。

大手出版社にとってはむしろ「本を作らない」ことの方が、赤字を少なくできるというおかしな話になってしまうのだ。

売れる雑誌の数冊もあれば、たかだか数百人ていどの社員だったら、それだけで食っていける世界なのである。

「雑誌1冊当てればビルが建つ」というのはもう遠い話だが、社員の数さえ抑えておけば、売れる雑誌ひとつでなんとか食って行けてしまうのである。

特に僕のいたところは漫画雑誌が何冊も破格の勢いで売れたから、お金がじゃぶじゃぶ儲かった時代があった。

でも社員の数が少ないんだから、ビルを建てるにも限度がある。かといって、株の取引で儲けるなんてことは出来ない。

だから土地を買った。

しかも都心の一等地に次々と土地を買って、貸しビルなど作って財産を維持したのである。

(失敗したのは文藝春秋で、一時は倒産の噂さえあったけれども)

ところが雑誌でも書籍でもミリオンヒットなど死語になってしまうほどの構造不況に陥った。

出す本出す本廃刊なんて憂き目に遭ったのである。

社員の間ではだから、

「俺たちが本を出すより、どこかの不動産会社や銀行などに土地の活用を依頼した方がいいんじゃないか? そしたらみんな明け方まで仕事しないで、給料もらいながら遊んで暮らせるんじゃねえか?」

なんて冗談ともつかぬ会話が流れたこともあった。

こんな話を聞くだけでも、電子出版で在庫を持たず、しかも大手出版のように大金を儲けなければならないわけでもないという会社には、未来が待っているのだ。

賭けてみる価値は十分にあるし、電子出版の会社がつぎつぎと立ち上がっているのは、先見の明がある人間が多いということでもある。

必要なのはそうした同業他者と一線を画すような本をどうやって考えだすか、組み立てるか、絞り込むか、新しいコンテンツを仕入れる方法はないかなど、その人間の「アイデア次第」であるというひそのひと言に尽きる。

売れる本のジャンルは過去とはまっこく違うものになっていくだろう。

明日は「僕が考えたこれからのジャンル」というのを列挙していこうと思っている。