✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

大腸内視鏡検査・・・・・・どんどん健康になっていくワタシ😓

2月9日金曜日、大腸内視鏡検査を受く。

結果、目立って成長したポリープなし。

娘の小学校最後の運動会を、離婚前に観たくて、2週間近く微熱が続くも病院には行かず、ただひたすら氷のように冷たいビールや焼酎で内臓を冷やしながら頑張っていた。

(近くのセブンイレブンに、毎朝のようにビールを仕入れに行くのでバイト君に顔を覚えられてしまい、なんとなく気まずくなって、わざわざ駅前までクルマを飛ばし、スーパーで缶ビールおよび瓶ビールの大量仕入れをしていた――つまり昼間っから飲んでいたわけである。そうでもしないと微熱でいつの間にか全身汗びっしょりになっているのだ)

 

病院に行ったらその場で入院となるだろうと薄々わかっていたから、とにかく運動会が終わるまではと我慢していたのだが、案の定その日のうちに

「憩室炎」

なる病気で即刻入院。

 

東邦大学佐倉病院というのは、僕が通学していた駒場東邦中学・高校と同じ系列の病院なのだが、緊急の出入り口近くにあるベッドの上に横にならされ、

(いいから体の炎症を鎮める薬だけでも飲ませてくれないかなあ。間違いなく楽になるのに)

と思っていたら、黙って聞いてりゃ内科の先生ばかりが寄り集まって、ごにょごにょと相談を始めた挙げ句、

「これからすぐに盲腸の手術に入ります」

と言われ、なんだ、原因は単なる盲腸だったのねと、なんだかなーと思っていたら、外科の先生たちが研修終了とやらでどやどやと戻ってきて、僕を触診してまもなく、

「ああ、たぶん憩室炎ね。検査してからじゃないとはっきりとはわからないけど。手術? 点滴打って胃と腸とを絶食状態にし、炎症がおさまるのを待つだけだから。切るわけないじゃん」

お前、いくら医者だからって、俺は東京は池尻にある東邦大学病院付属駒場東邦中学・高校の先輩だかんな。

なんだ先輩に向かってその口の利き方は。

それとも文科系の先輩など、先輩とは思えないってえのか町医者のボンボンどもめ、などとベッドに横にされたまま憤然としていたら、その前にもっと重要なことがあったことにようやく気がついた。

(いやいや、まずそんなことより前に、外科医が全員出払ってるってどういうことよ・・・・・・じゃあ、手術に慣れていないのは間違いない内科の医者が、もし外科医不在のまま盲腸切り取ってたらどう責任とったんだよ!)

どう考えたって誤診だろ・・・・・・

もし後日憩室炎だと判明しても、盲腸もかなり炎症が進んでいて、切除しなければ早期の治療は困難であったとかなんとか、手術を正当化するんだろうな・・・・・・と恐ろしくもなったことを思い出していた。

あれからもう11年・・・・・・

 

年に1度ぐらい泊まりで遊びに来てくれていた娘は、いまや一浪して大学3年生。

就職は秋葉原に本社のあるところに決まったらしいが、

「縁を切るから」

と、母親(つまり僕の元妻ね)と一緒に電話をかけてきてから、一切の連絡が取れなくなっちゃっているので、なんという会社かわからない。

 

「家族全員が浪人に反対してる」

と電話で助けを求めてきた娘に、僕はなけなしの70万円を引き出して、私塾の春期講座やその往復電車賃、中央線の中で食べるパン代、代々木ゼミナールの前期に3科目だったか、あとは夏期講習にいくつか。

さらには足りないけれども、1校3万円と考えて合計9万円を受験料として現金で送り・・・・・・そこで金が尽きたので、代々木ゼミナールの後期授業料は頭を下げて弟に出してもらい・・・・・・挙げ句、大学受験日の初日に大雪が降って、その天気がしばらく続きそうだというので、これは受験当日千葉からたどり着くにはリスクが大きいだろうとアパホテルを2カ所2泊予約してやり(しかも禁煙ルームを交渉して空けてもらうという気の遣いよう(T_T)。

そのうちにだんだん自分の食費まで足りなくなってきて、米と卵、ときどき肉で栄養素を摂りながら暮らしていたのだが、そんなことはどこかに忘れてきてしまったらしく、10年目となる去年、秋葉原に本社のあるという会社に勤めたらしいのだが、これは

元のお義父さん(なんて呼べばいいんだろう)から電話で聞いたこと。

もはや僕の肉親は、弟ただひとり。

しかもその弟もバツ2と来ていて子供も作れなかったから、僕ら兄弟でこの家系は根絶。

ああ、お兄ちゃんの方も娘の方も、可愛かったし、僕なりに可愛がったつもりだったんだがなあ・・・・・・

もう子供たちには二度と会えないのかな。

 

さて、そして先週の結果となるのであるが、去年はだいぶ大きなポリープがいくつも発見されれていたので、今年はさらにポリープが成長していることは間違いなく、検査と同時におこなわれる「胃・大腸ポリペクトミー」という、ポリープの根元にワイヤーを引っかけるようにしてぎゅっと絞ってからレーザーで焼き切る手術は当然おこなわれることは覚悟しており、問題はその後の生検で良性か悪性かの問題だな・・・・・・思っていたのだが。

肝硬変という大病を患って以来およそ5年、そろそろがん細胞のひとつやふたつ見つかっていてもおかしくない時期だと覚悟はしている。

今の自分の年齢を考えると、良い方向に転んで行ってくれたとしても、70歳前半でこの世とロンググッバイだろう、もし悪い方向に転がったら、父と同じように、肝臓がんが進行し続けて死ぬというのではなく、ぼーんと予期せぬところ――たとえば肺だとか膵臓だとかに突然がん細胞が飛び火してしまい、70歳に達することなくあの世行きってこともあるんだなと覚悟していたのだが・・・・・・

結果、主治医のお爺ちゃん先生、

「しかし君は良く寝る男だなあ。検査中、たかだか安定剤の点滴であそこまでぐっすり寝られる患者はなかなかおらん」

と妙な感心をしてから、

「ポリープは無かったよ」

と、中国人もびっくりの股間開きパンツ一枚で、ケツの穴出したままイビキかいて寝ていたらしい僕に宣告してくださった。

「なんだかどんどんよくなってる気が・・・・・・」

「君って不思議な患者だなあ」

先生はなんだかちょっと憮然としておられたが、まあいい。

 

また生き延びた(らしい)。

 

(が、去年の暮れにまた別の大病を患う。でもパーフェクトに生き返ったので、主治医であるお爺ちゃん先生、

「まったく君という男は・・・・・・」

と絶句して二の句が継げなかったのは、今思い出してもつい笑っちゃう)

 

俺って、病気持ちなのかな。それとも人より元気なのかな。

よくわからない体質。

まあ、子供たちにも捨てられちゃったんだから、謎のままあの世へ旅立つしかないか。

あの女とさえ結婚しなければな。

もう少し幸せに笑って死ねたかもしれない。

まさかあのヒステリーの塊が、甲状腺異常から来るものだとは思いもよらなかった。

お義父さんが「レーシック症候群」で、家族遺伝するものだったなんて、そんなこと、若い自分にはわかるわけないじゃないか。