✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■11/18(月) 断酒1112日目 起床時から疼痛続き動けず。

■7時に起床し、洗面をしている間に疼痛がやって来る。

いつもと同じで、体が活動を開始すると、遅れて疼痛が発生するようだ。

そのまま布団に倒れ込んで、クスリを飲む。

朝食はアミノレバンと切れてるチーズ3切れのみ。

 

疼痛まったく治らず、お昼にまたリリカ様にご登場願うもf:id:blueseashell:20131116201248g:plain

3時まで効果薄し。

現在3時半。

ようやくマシに。

これから温めの風呂に入って少しでも疼痛が鎮まってくれるのを期待するばかり。

 

■今日は完全にぎっくり腰(仙腸関節障害)の再発。

膝はもともと歪みから来ている炎症(と、治療室の先生)。

神経痛自体は、たぶんブロック注射でかなりの程度収まっているのだが、こうした腰とか膝とかの痛みで、また交感神経が「大変だ!」ということになって血管を収縮させてしまうらしく、軽い発作が出てくる。

 

ともかく今日は特筆すべきことまるでナシ。

一日戦死。

 

■夜8時をまわって、ようやく痛み消失。

ぬるい風呂にゆっくり入って、尾てい骨の横あたりに湿布を貼ったから、仙骨の炎症が収まってきたんだと思う。

こんな時間に収まったってどうするんだと悔しいが、ほんと、病人なんだからという事実を思い出して、ストレスを解くしかない。

ストレスはまた痛みを呼ぶから。

これからゴミ出しで下まで。

それがラクそうになったのが、せめてもの救いか。

 

■元妻に依頼していた書類を、急遽今週金曜日までにと弁護士に言われ、そのまま伝えたところ、案の定ガーッと文句のメールが。

以前とまったく変わっていない。

「なぜ急にそんなことになったのでしょう。この前は急がないと言ってたじゃないですか」

だから、裁判所と弁護士の話が今日急にまとまったということを伝えただけで、怒りはいきなり僕に向かってくる。

 

「皆、母の死から毎日やっと暮らしています。」

こうなってくると感情がもつれて、わけがわからなくなってくる。日本語もおかしいし。

 

「母には、なんのお悔やみもなく、自分のことで急ぎで話が出来るのが、わかりませんが。」

お悔やみの電話はしたと言ったら、それについては触れなくなったが、自分のことで急ぎって、日本語もおかしいけど、借金の整理をしなければならないのは、僕が遊興費だのなんだので使った借金ではないであろうと。

そのお金で、住宅ローンを払ったり、短期の健康保険証をもらったり、子供たちの教育費、毎日の食費、光熱費を払って来たのだから、もしそれで小指の先でも感謝しているなら、こんな言葉は返ってこないはずなのだ。

 

良くしてもらったことはすぐに忘れて、受けた被害は永遠に忘れないという、我が息子とそっくりの性格にあらためて愕然とする。

多額の借金、いったい僕が馬だのマージャンだのに突っ込んだお金だというのだろうか……心療内科に通ってまでなんとかやりくりし、こっちの借金を返してそこからまた借りて、向こうの借金を返してみたいな綱渡りの生活をしていたのは、みんな家族のためだったのに、それは自分が稼げなかったからすべてあんたのせいよということになってしまう。

よくもまあ、元妻の毎日のヒステリーに堪え、ウツ病にもならず、やって来たものだと、自分を褒めてやりたいぐらい。

 

そんなイヤな記憶が、別れて数年経つというのに、とげとげしいメールを受け取っただけでウワーッと蘇って来てしまう。

 

やっぱり女というのは怖いものだ。

たとえお付き合いしたとしても、外で会ってお茶やご飯やアルコールで楽しくやれば良し。決して家の中に上げちゃだめだし、ましてや結婚して同じ屋根の下に住むべきじゃない。

それがローンを組んでとなると、問題がさらにこじれてサイアクだ。

 

「そんな女ばかりじゃない」

と、男女のトモダチに言われ続けてきたけれども、僕は少なくとも、まったく女運がなかった。

若い頃からつき合った女性は、みんなヒステリックだったり、人を鼻で嗤うようになったり、軽いアル中で人格が変わったり、そんなのばかりだった。

 

女の方だって、たとえ若い頃はうまく行っていても、年を重ねるにつれて、旦那のこどう旦那とは思わなくなるというのは、男の友人から腐るほど聞いた愚痴である。

 

しょせん結婚なんていうのは、「子育て」にすべてがあるわけであって、それが動物的本能で行われているのに気づかず、愛し合っているなどと幻想を抱いて、子供が育ってみればもう互いに必要としないペアなのだ。

自分たち人間は、動物より偉いと思っているかも知れないが、動物のカップルの方がよほど助け合っているような気がする。

人間はつまり、知恵が発達し過ぎて、すべてに言葉の魔法をかけて粉飾決算するクセのついた猿に過ぎないし、結婚式はつまるところ、猿の一族同士が親族として手を結び合うに過ぎないような気がする(-◇ー;)。

 

しかしごく希に、結婚当初から子育て、子離れを経験した後も、最後まで違いを大事にし合うカップルもいるようで、それは僥倖としか言いようがない。

しかしその僥倖が、自分にも訪れるとなんの根拠もないのに信じてしまうのは、やはり動物的本能のなせるワザだろう。

だから、結婚しない男女が増えているのも大いに理解できるし、そうした選択をした方が賢いように思う。

 

もし結婚するとしたら、互いに子育てが終わった世代とか、女性の方がもはや妊娠不可能な年齢になったときとか、動物的本能が次第に薄れていって、男女の性差が次第に縮まって行き、互いを純粋に人間同士のパートナーとして見られるようになってからが安全だと思う。

 

たとえ子供はいなくとも、一緒に京都奈良を散策したり、海外旅行をしたり、互いの好きなスポーツや趣味を一緒にやったり、人生の最後の20年30年を、尊敬し合えるパートナーとして慈しみあえるカップルの方が、どれだけ幸せだろうか。

 

なあんてことを、つい思ってしまって、わーっと書いてしまうのは、つまり僕は結婚に失敗した人間であるからだろう。

過去の傷口が、痛みをともなって、開いてしまうのだろう。

 

■ゴミ出しに行って、膝悪化。

  • (o´д`o)=3