✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■9/30(月) ②公園のベンチで決心したこと。

■西友まで、鶏の胸肉と、酒粕その他を買いに行き、帰りは西の方角にある我が家へと自転車ちりんちりん。

と、海浜公園の中で思わず自転車を停めて空を見上げていた。

なんという美しい富士山。

ごくふつうの、よく写真で見るようなくっきりとした雄姿ではなく、まるで江戸時代の風景画のような……。

(こういう時に限ってデジカメ忘れ)

秋特有の鱗雲が富士山の上空一面に浮かび、その雲が西に傾いている陽に輝いて、青から紫、橙色へのグラデーションとなって、これがまるで歌川広重の「名所江戸百景」的な雰囲気をかもし出しているのだ。

携帯のカメラで撮ってみたけれども、さすがウィルコムのどうしようもない安携帯。ズームもほとんどきかないし、掲載不可能 (-ω-;)。

 

その後お気に入りのベンチへ向かうと、今日は幸運なことに誰も座っていなかったので、トクホのコーラとオールレーズンをかじりながら、足もとに広がる公園(の一部)を眺める。

そこでふと、ここ最近悩んでいた、

(この際、全面的に書き直すか)

という思いに、決心がついた。

大変な手間になるというか、書き直すというより新たに書き始めるといった方が近いのだが、この5カ月間、とにかく進まなかった原稿が、時を経るごとに不満になってきたことが大きかったのだ。

 

きちんと書けていれば、5月の終わりぐらいには完成していたはずなのに、1日1ページどころか数行しか書けないこともあったし、不調で机の前に座ることすらできないこともあったから、その間、自分の脳細胞もどんどん入れ替わっていったのだと思う。

その新しくなった脳細胞が、

「これじゃダメだろ」

「こうした方がもっとスピード感が出るだろう」

と意見を言い始めていたのだ。

 

けれども、なんとか100ページを越えるところまで書いたし、そうつまらなくないどころか、けっこう面白いんじゃないかと思っていたのだが、今までシリーズ1作目で売れ行きが思わしくなく、即打ち切りということもあったから、どうも最初の展開が遅いキライのある自分としては、

(たとえ構成をがらっと変えてしまっても、いきなり読者を引きつける方法がもっとあるんじゃないか。メインの主人公とサブの主人公、そして他のキャラクターたちの登場や出会い、絡み合いというのは、徐々に或いは過去をふり返る形にしたっていいではないのか。とにかく正攻法で押し通すよりも、ある程度変則的だろうがなんだろうが、読者に「あれ? これってどうなるんだ」と次を期待させる方を選択すべきじゃないのか。その読者の期待や疑問は、後から追々、章が進むごとにあきらかになってゆく形でいいんじゃないのか?)

という疑念を常に持っていたのだ。

 

病気とりわけ神経痛も、だいじょうぶと思えるようになるまで、まだ何ヶ月もかかるだろうし、娘も受験料はなんとかしたことだし、入学金が10数万円足りないというのも、なんとか工面できるだろうと。

それならば、もう慌てずに、じっくり腰を据えて納得できるところまで書いてみようと思ったのである。

 

もはや生活に追われるあまり、これでいいやと、ほとんど見直しをすることもなく〆切りぎりぎりで書き上げてそのまま編集者に送るという姿勢は、もうこの年なんだし、残された年月は少ないんだし、やめた方がいいだろうという思いが強くなって来て、たぶん抑えられなくなったんだと思う。

 

そんなことを考えながら、小一時間座っていたベンチを離れ、新たに着手する第一話をどうするかがなんとなく決まったことに安堵しながら家路についた。

 

(これでダメだったら、オレの才能はここまでだったんだ)

と納得できるような書き方を、そろそろしなくちゃいけないなと、ようやく決心がついたのだろう。

そう。もう後が無いのだ。