■8/25(月) ②日本はいずれ立ち腐れするのではないだろうか。
■慢性疲労症候群だったんだな、と今年の初め頃の自分の状態にようやく思い至った。
とにかくちょっと動いただけで疲れてしまって、短時間爆睡してはまた動きと、完全に病人の生活を送っていた。
主治医の先生になんどか訴えたのであるが、そのときは、とにかく肝臓が栄養を摂取出来ない状態だから、たんぱく質を摂れという答えしか返って来なかった。
カルニチン欠乏症の診断が出たのは、4月19日になってから。そこで初めて「L-カルチン錠」を処方されたのだが、肝性脳症になって昏倒したのが4月3日だったから、おそらくそれからカルニチンの勉強を始めたんじゃないかと思う。
当時カルニチンについてのサイトも少なかったし(現在はどんどん増えている)、まだ医者の間でほとんど認知されていなかった新しい承認薬だったから、知らなくても当然だし、先日セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを聞きに行った肝臓の専門家は、
「カルニチン? わからない」
と言っていたほど。
だから、医療を自分の天職だと言って、74歳にもなって勉強を続けている野村先生は、本当に柔軟な頭脳と、情熱を持ち合わせた人物だと思う。
しかしカルニチンを服用し始めてからもう4カ月ちょっと経つというのに、いまだに足が腫れ、膝や足首に激痛を覚えるぐらいなのだから、カルニチン欠乏症という状態から脱するまでには、まだまだ時間がかかるだろう。
(奇妙な痙攣とか、疲れやすさがなくなってきているから、たぶんいいところまでは回復して来ているのだと思う。ただしその分、つい体を動かしてしまうから、それが体の筋肉など各所に負荷をかけ、それに答えようと残り少ない肝細胞がフル活動してくれているのだが、とても追いつかず、こうした腫れと痛みとなって出て来てしまうのだろう。
これは僕の勝手な推論だが、生命を維持するために、優先順位のようなものが決まっているのではないかと思う。
ちょっとぐらい筋肉が腫れようが痛みを覚えようが、死ぬよりゃマシだろってなものじゃないだろうか。
■それはさておき、明日シネマポイントカード会員優待日だから、ブラッド・ピットの「ワールド・ウォーZ」を観に行こうかと思っていたが、今も鎮痛消炎剤を飲んだところだし(様子を見て飲むようにしているのだが、また痛くて堪えられなくなりそうだった)、とてもムリだと断念。
9月3日の火曜までに、もし映画が終わってしまっていたら、その映画には縁がなかったとしかあきらめるしかない。
いや、もしかしたら、いまだに鎮痛消炎剤を手放せない状態かも知れないのだ……
横浜の109まで、「タイピスト」観に行くなんて、もしかしたらあきらめかな。
しかし、時間かかるなあ……。
■今日たけしの番組で、介護の問題や、葬式にかかるお金が200万円とか、そんなことを議論していた。
やはりもっともお金のかかるお寺から離れることにしなければならないし、お通夜と葬式も遺言として禁止するし、なんとかがんばってスイスまで行って、薬物を飲んで眠るように死んで、現地で焼いてもらって、骨の大半は海にでも散骨してもらうのが、結局は安上がりだし、子供たちにも迷惑をかけなさそうだ。
そういう意味でも、キリスト教徒に改宗しておいた方が、なにかとメリットがあるかも(^◇^;)。
しかし僕の時代はまだマシで、子供たちの時代になったら、たぶん年金じゃ老後とても食べては行けないし、病気になったからといって、おいそれと病院に行けない時代になっているだろう。
とても、それまでに消費税を上げようが上げまいが、経済が回復しているとは思えないからだ。
かつて昭和の時代、陸軍の青年将校たちがクーデターを起こしたが、彼らは疲弊した農村の次男坊、三男坊、あるいはそれ以下が中心で、今のままでは国が滅びると、絶望的な決意で蹶起した。
無論、そんなことは今後起こる可能性は少ないとは思うが、国民の間に徒労感が蔓延し、老いも若きも、どうせ働いたって苦しんで死ぬだけだと厭世的な気分となり、そうした厭世的な風潮によって、日本という国は、まるでガン細胞におかされるように、じわじわと内部から滅びていくような気がする。
そういう意味では、僕ははたして当然のごとく、なにも考えずに子をもうけてしまったことに、いささかの罪悪感さえ覚えるのである。
人間は、将来への希望がなければ、生きていけない動物なのだと言う。
ただ食って寝て老いて死んで行く野生の動物とはそこが違うのだ。
このまま経済人がおのれやおのれの家族のためだけに働き、そこに乗り遅れた、ついていけない人々を顧みないようなことが続いて行けば、日本はもはや国家として成り立っていないだろう。
フィリピンや中国などアジアの国々で、ごみの山から使える物、売れそうな物を漁る子供たちが、この日本でもやがて出現するのではないか。
北朝鮮のことを笑っていられるのは今のうちのような気がしてならない。