✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■7/31(水) ②来る娘。去る娘。

■休み休み片付けをしていたのに、なんだか進んでしまって、残るは書斎の床の資料やパンフレットが残り3分の1をしまうだけ。

玄関の三和土も拭いたし、トイレの床も拭いたし、段ボールもまとめて天袋に入れてしまったし、ニトリから午前中届いたばかりの肌掛けの布団も陰干ししたし、その他諸々やりのけた。

 

明日泊まりに来てくれる娘も、綺麗とは言わないまでも、清潔に暮らしているなと安心してくれるだろう。

トイレに入りながらそんなことを思った瞬間、胸に違和感を感じて体を丸めてしまった。

 

いや、狭心症とか心筋梗塞とかではなく、もう7~8年も前、不安症にかかってメンタルクリニックに通い始めたときに感じた胸のもやもやというか息苦しい感じというか、うまく言い表せないイヤな感覚に襲われてしまったのだ。

忘れていた感覚というか……。

 

その直前に考えてしまったことは、こんなに綺麗にしても、がんばっても、3泊4日でまた帰ってしまうのだし、4日目はどこかで最後のランチをして、ホームで娘の乗った電車が離れて行くのを、じっと見ているんだろうなという、息子の時に1回、娘の時には中学生だったころに3回か4回、経験したあの胸のどきどきが、荒くなった息とともに蘇って来たのだ。

 

迎え入れるために片づけたはずなのに、まるでさよならを言うために片づけたような錯覚に陥ったのである。

 

これを書いている今もまたぶり返してきて、少し涙があふれている。

 

すべて自分の決断したことだし、その決断がはずれてしまったのだから、誰のせいでもないのだけれど、どうして僕は、中学高校という貴重な6年間、娘と一つ屋根の下で暮らすことができなかったのだろう。

 

家を出る前に、いや、追い出される前に、元妻に頭を下げてじっと大人しく言うことを聞いていればよかったのか。

しかしそれはムリだったろう。

あの、ヒステリーというのを越えた半狂乱状態を見たら、また感情が爆発していただろうし、ふたたび大げんかを繰り返していたことだろう。

 

そうなれば、子供たちはまた耳をふさぎ、嫌な気持ちになり、こんな家いつか出て行きたいと思い、結局仲良く過ごすなんてことはできなかったのではあるまいか。

 

ある友人に言われたが、

「思春期の子供と一緒にいても、うまく行けばいいけど、親としてはつい事細かく叱ったり小言を言ってしまう。うちなんか、面従腹背もいいところで、挨拶はするけれども、いやそれはオレが挨拶ぐらいしろと怒鳴りつけたからなんだが、決して仲良くはないよ。離れて暮らしているお前の方が、お互いを思う気持ちが強くなるんじゃないかな」

と言ってくれたし、

ある女性の友人は、

「親と離ればなれになったり、離婚をあじわった子供は、グレる子もいるけれども、そうじゃなくて、がんばる子供だっていっぱいいるわよ。わたしも何人もそういう子を見てきたからわかるの」

と言ってくれた。

それで少し気持ちがラクになったことは事実だが、しかし今や息子とは音信不通だし、娘は中学に入った頃急に言葉づかいが荒くなって、僕を追い出したと思った母親や、いちいち口うるさい(意識せずとも、父親代わりになるんだろう)兄貴に向かって、大変な剣幕で食ってかかっていたそうだ。

それもそれで、僕の責任でもあるのだ……。

 

さて、明日から4日間、とにかく楽しく過ごそう。

もう二度と帰ってこない時間というのは、これまでにイヤというほど味わって悲しい思いをしてきた。

これで会えないかも知れないんだと思って、良い思い出だけを作るために、接しようと思う。

こんな病気になってしまったのだから、それは杞憂でもなんでもないのだ。

 

こんな年になっても、そして娘が高校を卒業した今でも、きっと帰りのホームで涙がでて止まらなくなるのは、今までと変わらないだろう。