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小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

作家になるということ(その②)

離婚などのリスクが、他の一般の職業よりずっと多いであろう作家になるということはつまり、あえて離婚のリスクを覚悟して結婚するか、あるいはそうしたリスクから無縁であるために生涯独身を通すかという決断になってくる。

 

前者のなかでもサイアクのコースをたどってしまったのが僕なのだが、実はこの辺りが難しい。

僕はもう本当に懲り懲りで、精神状態がもっともひどい時期には、引越したマンションの周囲にまで元妻が様子を見に来ているのではないかなどと怯えていたから、もし生まれ変わったとしても結婚しないか、するにしても相当慎重になるだろうと思う。

 

僕よりはずっとマシな作家だと、同じ離婚にしても、実は得るところが多かったりする。

それは何かというと、

「人生の引き出し」。

 

リスクが多ければ多いほど(大きいのとは微妙に違ってくる)、人生の引き出しの数も増えるから、それが直接ではなくとも、複雑に折り重なった上で、いつか自分の作品に反映される日がやってくるものだ。

たとえそんなことを意識していなくても、作風という形で、自然に影響を受けていたりするから、人生における苦悩というのは作家には欠かせないものだろうと思う。

 

ライト・ノベルスから青春恋愛モノそして私小説、時代小説など段階があるけれども、総じて深いモノを書ける作家は、苦悩の経験も多いのではないだろうか。

(これはきっと、テレビの脚本家とはまた違っている点でもあるだろう)

 

この引き出しを得るには、実は離婚というのはけっこう重要な経験となる場合が多いのだが、それを自分で選び、つかみとるのはなかなか難しい。

離婚など、結婚してみて初めて、失敗だった成功だったとわかるのであって、最初から失敗がきちんと見えるのであれば、世の中でこれだけ離婚が増えているということもあるまい。

 

その場合――あくまで作家の場合だが――お互いにもたれあわない、適度な緊張感を保てるような間柄であることが、もっとも実りある結婚をする秘訣のような気がする。

もちろん若い頃に大恋愛をして結ばれるような相手と出会ってしまえば、客観性もなにもかも消し飛んでしまい、

「この人こそ、神さまが会わせてくれた人」

なんて天にも昇る状態になってしまうのは仕方がないけれども、一時的なあっはん、うっふん状態を過ぎてみれば、互いに打ち込めるモノがあるかどうかが、作家に限らずクリエイターの人生を左右する岐路となるだろう。

 

しかし男という生き物も勝手なものだから、ある時は甲斐甲斐しく世話をすることを要求するし、次の瞬間にはちょっとこっちは忙しいんだとけんもほろろな態度に出ることも珍しくないだろう。

このような扱い方をされた際、女性が専業主婦であることに幸せを見出だしたいタイプだった場合、破綻する可能性はかなり高くなることだろう。

 

そうした女性にとって、旦那さんは昼間働いて給料を稼いで帰ってくる人間で、その合間に家事だの料理だのをし、自分の自由な生活を作り出したいと思っていることが多いであろうから。

 

もし邪険にあつかわれるようなことがあったとしても、その女性にも打ち込めるなにかがあったとすれば、逆に破綻をする可能性は低くなってくるに違いない。

 

ここにおいて、作家生活における、妻との共同生活化というもっとも望ましい(離婚をしないですむという意味における)関係を構築できる芽があるのではと思っている。