✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 10/14(日) ④極めて残念だけれども、賞狙い、いったん中止&延期。

ようやく4分の1ほど完成させた(時間をかけた分、完成度としてはかなり高かった)時点で、少し頭を冷やすために、近くのマックまで。

そこで今月の家賃、光熱費、プロバイダ料金、電話料金、娘の携帯代、内科小児科のお金を計算しただけでもギリギリ。食費もかなり切り詰めなければならず、皮膚科だの神経内科むずむず脚症候群)だの通院できないのはもちろん、真冬のジャケット1枚すら買えないことが細かい数字から判明してしまった……

12月から危機、どころではなく、今月末から少しずつ危ない。

 

このちょっとずつ足りない期間が12月まで続き、1月は完全にお金が底を尽く。

しかも2月には娘の大学受験があって、できることなら朝満員電車で東京に出てくるのではなく、試験前日の2日ぐらいは、都内の安ホテルに泊めてやりたいし、受験料だって1学部につき3万5000円ぐらいかかるのは、昔とさほど変わっていないのではなかろうか。

 

来年本格的な就職活動を迎える息子にも、せめて電車賃やスーツ代、たまに精のつくものを食べるお金ぐらい送ってやりたいし、そんなもろもろを考えると、ここまでやせ我慢したものの、やはり今年の応募は不可能だった。

 

極めて残念。誠に遺憾。

 

しかし薄々、この規定枚数ではストーリーの本質的な部分やバックボーンまで削らないととてもおさまらず、では削ってしまうと劇画調というかライトノベルス系に近い感じになってしまって、これは狙う賞の分野とは違うだろうと思っていたから、このままなんとか突貫工事で仕上げて応募してしまって良いものかどうか迷ってはいたのだ。

 

だから今日結論をみたことで、かえってよかったのではないかと思っている。

そうじゃないと、突貫作業――やっつけ仕事とも言える――で落選どころか箸にも棒にもかからないとみなされたら、これまでの苦労が“逆に”無駄なものとなってしまう。

ここはひとつ勇気を持って、一時転戦することにした(日本陸軍は撤退という言葉を決して使わなかった (-ω-;)。

 

いま一番大切なものはなにかと言えば、いろいろあるけれども、とにかく好転してきた体調のよりいっそうの進展と維持であろうと。

元気でさえいれば、また来年でも応募できるのだし、賞が逃げるわけでもないと考えた。

 

それに、これは自己弁護するつもりでは毛頭ないが、各種文学賞を受賞して、その後食うことができずに、やむを得ず僕のような書き下ろし仕事に手を染めた作家がたくさんいるという事実がある。

今回応募を企てたのは、とても賞はとれないだろうと思いつつも、自分を鼓舞するため、自分の理想をあきらめない証しという意味がすべてだったのだが、しかし万々が一のことがあって受賞なり佳作を取った場合に、じゃあどうなるかというと、結局はその分野で食えずに書き下ろし仕事に戻ることにもなりかねない。いや、その方が可能性としては高い。

 

だったら、いまやせ我慢をして、子どもたちにも窮屈な思いをさせてまで完遂する必要が本当にあるのかどうか。

それは自分自身の間違った名誉のための自己満足でしかないのではないかと反省したのである。

 

司馬遼太郎さんが生前、どこかのインタビューかエッセイの中で、

「勉強というのはいつでもひとりでも出来るはずのものです。それをわざわざ高いお金を払ってまで有名大学に入り直すなんて、それは多分に世間への体裁を考えてのことではないでしょうか」

と書いていらしたけれども、今回の僕のわがままは、まさにその世間体から出て来たわがままではなかったか。本当にそうではないと言えるかと考えた場合、どうも怪しい気がしないでもないと。

 

ただ、この業界もきびしいところだから、たいていの不勉強な編集者は失敗をおそれるあまり、自分で新しい才能を見いだすのではなく、

「どこかで売れた作家に同じような物を書いてもらいたい」

という、志の低い、しかし失敗するリスクの低い注文の仕方をするのである。

 

だから、Aという分野でそこそこ稼いでいる作家に、自分が携わっているBというジャンルを書かせてみようか、という冒険心をなかなか起こさないものなのである(これについては、先般高須クリニック院長と結婚が決まったサイバラさんも憤っていた)。

とりわけ出版界が不況産業となってしまった時点で、そのような本来の編集者がめっきりと減り、「サラリーマン編集者」と呼ばれるおかしな連中が増えてしまった。

(ところがこうしたサラリーマン編集者に限って、「自分は才能がある」「作品を見てやる」的意識があって、まことにヘキエキとする。サラリーマンというより、お役所的編集者とでも言った方が当たっているような気がする)

 

話は飛んでしまったが、自分の体、お世話になってお金を貸してくれている方々への返済、子どもたちへのせめてもの罪滅ぼし、などを考えると、今この時期に意地を張るのはおかしな話だろう。せめて子どもたちが独立して、自分でメシを食っていけるようになってからチャレンジし直せばいいことだろうと思った次第なのである。

(重ね重ね、極めて残念で、誠に遺憾ではあるけれども)

 

さて変わり身の早い拙者は、今日からすぐさま書きかけの書き下ろし文庫に戻るつもり。

それでも、病気をして少しサボリ癖がついてしまったのかも知れない精神に活を入れることにもなったのだから、不幸中の幸いというか、やはり「やるぞ!」と意欲を沸き立たせたのはよかったんじゃないだろうかと、思っている。