✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/14(火) ③闘い終えて、夕ご飯食べたら、もうぐったりクラゲ人間。

今日はページ数としてはさほど稼げなかったものの、これまでの見直しと修正で、充実感。

なんだかやっぱり、大きくは変えられない。

文章が気に入らないところ、過剰な修飾、重複した表現などに問題が見つかるのは当然として、なんか直せないのだ。

完成形に近いというのはだいぶ言い過ぎだけど、10年以上も文章を書き続けていると、破綻がほとんどないのだ。

それだけ進歩はしているという実感。

 

もとから構成が破綻するということはあまりなくて、ひどい時には、結末の情景や文章が思い浮かんでいるだけで、プロットも登場人物もまったく決まらないまま書き始めることも多かったのだが、後から読み返して自分でも驚くのは、構成が破綻をきたして使い物にならないということがほとんどなかった。

 

これは小学校のころから文章を書くのが好きで、家庭環境から本がいくらでも手に入ったことが大きいのかも知れない。

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■しかし逆に欠点もあって、今回誰の視点で物を書くかという問題にぶち当たり、

(こういう風に直そう)

と決心したところが、実際に自分の文章を読み直してみると、

(あれえ……これでいいじゃん)

と思ってしまうのだ……。

だから、編集者が大きな直しを要求してくると、非常に困るというか、直せない。ほとんど不可能なのだ。

これは僕自身も編集者だったから、どこか第三者的な目で眺めつつ書いているんじゃないかと思う。

(しかし担当編集者はやりにくいだろうな。編集者として作家に要求を出したつもりなのに、その瞬間に作家は姿を消して、同業の編集者がいるんだから……こうなるとあくまで好みとか、意見の相違とかになってしまう。

もちろん今はまだまだ立場が弱いから頭を下げて向こうの言うことを效いているけれども、心底そう思いなおしたわけじゃない。

相手の出版社あるいは編集者と意見が合わなければ、それは、

「目指すところが違いますね」

「好みが違いますね」

ということになってしまうだろうという予感がある。将来。

 

まあ、そこまで強気でいける立場になるまで、コツコツとがんばらにゃあと思っている。

今に見ていろって気持ちで。

 

さて頭フラフラだから、ぼうっとビデオをみよう。

今日は『マージン・コール』。

面白いのかな、これ。

ネットでは評価低いんだけど……リーマン・ショックを題材にしたというから、資料として観たかったんだよなあ。

 

※うーん。いい映画だったと思うけどなあ。ネットの映画評もそうだし、ツタヤのビデオ紹介とか、アマゾンのレビューとか、なんだか自分とは意見のズレがあることが多い。

この映画はたぶん、見る人間を選ぶんじゃないかな。40代50代以上のビジネスマンで、一定以上の辛酸を舐めて来た人間じゃないと、伝わらないものがあるんじゃないかと思う。

「静寂がもたらすものは、平穏な世の中だけでなく、戦争や闘争さえも静寂の中で決断される」

という事実がとても勉強になった。

 

まあ、僕の場合はどうしても自分の仕事のことが潜在意識にあるらしく、ちゃんとした映画評はもともとできないんだけれども。