✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/11(土) ③今日は徘徊中年。

どうしても語り手のことが解決できず、昨日から筆が滞りがちになってしまった。

いままで、主人公のいちばんそばにいる人間が目撃したことを叙述する形で書いてきたけれども、どこか違和感を感じて、

(ストレートに、主人公の感じたこと考えていること見たものをそのまま書いた方がいいのではないか……)

と思い始めてしまったから。

 

まだ20ページを越えたばかりだから、もし書き直すとしたら今のうち。

100ページも書いたところでやっぱり書き直しとなったら、間違いなく書き直しだけではすまずに、ストーリー自体も別展開をしてしまうだろう。

 

それで今日は執筆をあきらめ、昼からずっと町を徘徊。

chigasakiまでのバスがちょうど出る時だったのでそれに乗り、ぶらぶらと商店街を海岸方面へ。

ぶつぶつ言いながら、心ここにあらず、視線も下に向けたり遠くに向けたり、たぶん定まってはいなかったろう。

通り過ぎた人は、気味が悪かったかも知れない (-ω-;)。

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暑くて、途中ジュースを飲みながらひたすら歩き、我慢できなくなってなけなしの金を払って立ち食いに近いような昼食。

 

たかが生活費稼ぎの本に、こんなに努力してむくわれるのだろうか。

という考えが、ふと頭をよぎった。

こんな呻吟を経て本を書き上げるよりも、ただひたすら、なにも考えずに、読者のことすら考えずに書きなぐって、その分数を多く出した方が売れ行き自体もいいんじゃないだろうか。

それはこれまで、痛いほど経験してきたこと。

 

いろんな先輩から、

「読者をバカにしちゃいけない」

「読者はバカじゃないぞ。間違ったことを書いたら、100人はそのまま気づかずに読み続けるかも知れないが、100人はおまえの間違いに気づいてるんだぞ」

など、アドバイスを受けていた。

しかしこの前書いたように、読者をバカにするつもりは毛頭ないけれども、バカな読者はとても数が多いというのは、厳然たる、そして考えたくもない事実だ。

しかしそれが真実なんだろう。そうじゃなくては説明のつかないことが多いし、逆にそうであると認めてしまえば、ほとんどのことに説明がつくのだ……悲しい哉。

 

今のペンネーム、もう10年も続けてきたんだから愛着はあるけれども、もう捨てようと深く決心したとたん、今まで通りの書き方でいいんだと確信を得た。

いいんだこれで。

読者が求めているのは、バカとか利口とか問題とは別に、スピード感であったり、次々とシリーズの最新刊が出ることで愉しめることなんだ。

そう思った。

 

気がつけば、またバスに乗ってtujidou駅で降りていた。

娘が欲しいとメールしてきたリトルピンク&ブロキガのノート、付箋、クリアファイルを買い、食材を買って帰宅。

もう真っ暗だった。

 

そして夕食をと思ったら、炊飯器の予約ボタンを押していなかったことに気づき愕然。

今日の夕食は、新鮮そのものだったアジの刺身と菓子パン(-◇ー;)。

まずは青魚とくゆうの臭みのある刺身を単独で平らげ、いったん歯を磨き口をゆすいでから、牛乳で菓子パンふたつを流し込む。

胃の中でどうなっているか想像したらちょっと吐き気がしたので、あわててテレビをつけて気を紛らわせた。

 

ほんと、毎日ふんだりけったりの人生だよなあ。

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