✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/2(木) ②暑い時には、熱いものってホントだ。

昨日は出かける前、温めのお風呂にゆっくり入って、露天わきの休憩所で風に吹かれてうとうとしようと思ってたけど、この暑さで岩盤浴はなーと思ってた。

ところがお金払ったんだし、せっかく来たんだからと、たぶん5分ちょっと入って全身から汗が噴き出す状態になったのがよかったらしい。

今朝はその疲れも出たのか起きられなかったけど、その後ずっと調子がいい。

 

やはり暑い時にはなるべく熱いお茶を飲み、熱い風呂やシャワーにして、体を芯から温め強制的に気温に近づけてやるというか平熱を高めに維持してやると、体が早く順応して、涼しさを感じるような気がする。

もちろん氷大好き人間だから、暑いと感じる時にはガリガリ君になったりするけど、基本的にアイスコーヒーなど飲まないし、エアコンがないせいだけど、去年引っ越しするまでは使えたエアコンも、よほどの熱帯夜でもない限りほとんど使わなかった。

 

夏の始めはつらいけど、そこを乗り切ってしまうと、たぶんずっとラクになると思う。

もちろん適度にエアコンを使った方がいいと思うけど、その適度にってのがむずかしくて、いちどつけるとなかなか消さない、消せないのが人間だと思う。

そしてエアコンで体が冷えているのに、さらに冷たいお茶で体を内部から冷やしてしまい、夜は冷たいビールでトドメ。

これをやってると、翌朝汗をかいて目を覚ましたり、1日中エアコンをつけているような人は、一歩外に出たとたんに、そりゃやられるのは当たり前……

 

むかし川沿いの農地を借りて、ひとりで300坪の畑を耕していたことがあるけれども、暑さには慣れっこのはずの農家の人も、夏の日中は誰もいなくなっていた。

見渡す限りの河川敷、畑、田んぼには、人っ子一人いないのだ。

なにかを捕まえに網を握りしめてやって来たこどもたち以外、土日しか時間がないのかムリして糸を垂れ続けている釣り人は別として、姿を消していた。

 

はるか昔の江戸時代。

東海道などの街道には、日中人の影がまばらで、みな松の根元など木陰で涼をとって夕方になるのを待っていたらしい。

エアコンも、冷え冷えの冷たい飲み物もなかった時代、我々の数倍の距離を移動した旅人たちだって日中はきちんと休んでいた。

シエスタを提唱する人たちも少なくないが、

「お天道さまが高いうちから寝るのはなまけ者」

という日本人特有のおかしな教条主義が、いまの日本には蔓延しすぎていると思う。

しかも江戸時代の人々の過ごし方を考えてみると、真夏の日中も働くという習慣が、実は明治政府以来の比較的新しい習慣に過ぎないことがわかる。

つまり、

「日本人は昔から勤勉だった」

というけれど、江戸時代まで日本人は、暑い時には寝ていたのだ。

お城に通っていた侍たちも、午前中でお勤めを終えてしまうし、大工だとか植木職人だとかも、暗いうちに出て行って、昼前にはおおかた仕事を終えてしまって、涼しい木陰で寝るのが当たり前だったし、八つぁん、熊さんのように日本酒かっくらってふんどし一丁で、どこだろうがかまわず寝てしまうというのが日本人だったのだ。

 

シエスタは、江戸時代まで、確かに日本にはあった習慣なのである。