✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

ようやく人物相関図まで終わったけど・・・・・・

長かった。

 

大ざっぱに考えてあった時代背景と、歴史的事実とを組み合わせ、そこに主人公以下の架空の人物を当てはめていき、傍らの年表をにらみながら、摺り合わせを繰り返す。

ここまでがいちばん時間がかかる。

 

すべてを架空の物語で済ませるならラクなのだが、話に重みを持たせるためには、その時の時代背景が必要となってくるのだ。

将軍。その時の大老、老中、側用人

ここがライトノベルスとは最も違う点。

 

もし時代背景の比重を減らすならば、その分ストーリーに厚みが必要。

ストーリーひとつで読者を泣かせ、笑わせるには、相当な力量が要求されると思う。

ラストの虚無感、あるいは至福の感覚。

その点、この年になってもまったく自信が持てないし、自信が持てないレベルだからこそ売れないのであるが(^_^;)。

 

歴史的背景とは、どんなにあがいても突破できない時代の流れであったり、あるいはそこを突き破った虚無的な笑いであったり・・・・・・書き方や組み合わせは自由にして無限だが、忘れてはならないのは、

「読者は王である」

ということ。

構想やら叙述やらは自由にして無限であっても、王様が飽きてしまっては言語道断。どんなに優れた物語であったとしても、物語はその時点で終わってしまう。

我らは王の僕(シモベ)にすぎないのだから。

 

さて、大病を乗り越えるまでにちょうど5年、衰えた筆力に鞭を当て、以前であればそこでアルコールを入れて脳内に妄想というエネルギーを注入するのであるが、今やそれもできず。

 

衰えたりといえども冴えた頭で、荒唐無稽な世界を生きてゆくための土台作りを重ねる。

世界が構築出来る前に飛び込んだりすると、その世界にとっては異質な分子である我々は、手痛い反撃を受けるか、場合によっては消滅させられる。

(売れっ子が締め切りに追われて苦しむのは、まさにそこである。世界が構築できぬまま、見切り発車で架空の世界に飛び込まないと間に合わないからという向こうにしてみれば身勝手な理由で飛び込んだりすれば、弾かれても当然だろう)

そして、それらがうまくいったと思いきや、王様が途中で欠伸でもしたら、その時点ですべての努力は消し飛ぶ。

残酷な世界だ。

その残酷な世界への第一歩が、まる一年かかってようやく完成にこぎ着いた。