✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■人生の山は、越えつつあるが、次第に強くなる無力感。

去年の1月、このブログを休みにしてからすぐ、下の子ども(娘)が、一年間の浪人生活を終え、無事、大学に入学してくれた。

第一志望は落ちたけれども、それはその大学のOBであるこの僕が、

「早稲田だけはやめろ。あんなに面倒見の悪く、マンモス校の悪いところをぜんぶ兼ね備えたような大学、行ってもなんにもならない」

と強く反対した当の早稲田だったのである。

けれども、娘は、

「大学を決めるのはわたしでしょ」

と言い張って聞かず(この頑固で自己主張の強いところは、いったい誰に似たんだ? )、結局は口をつぐんだのだが、

(口をつぐむというより、自分に都合の悪いことや、聞きたくないこと、不快に思うことだと、一切メールが返ってこない(-◇ー;)から、事実上僕は口を封じられたも同然なのだ)。

結果として第一志望に落ちたと落胆した電話がかかってきたとき、思わず、

「ざまあみろ!」

と言いそうになったが、内心で万歳三唱をしていたことは娘には秘密内緒だ。

 

その後僕に異変が起きた。

――すっかり、力が抜けてしまったのである。

理由はわからないが、なにもする気が起こらない。

洗濯も、掃除も、料理も、それまでごく自然に続けて来たことが、手につかない。

後からふり返ってみれば、

(ああ、これで人生のいちばん高い山を越えられた……)

と思ったからだろう。

貯金もなにもかも、すべて娘の塾代、参考書代に消え、僕はと言えば欲しい本も買えず、甘い物が欲しい時には砂糖を舐めて茶をすすっておやつ代わりにしていたこともある。

それでも小学校卒業したときには父親が消えていたという寂しさを思うと、できる限りのことをしてやりたくて、無我夢中だった。

 

これを燃え尽き症候群というのだかなんだか知らないが、まだ体が十分に回復しないことから、仕事も進まず、

(執筆業というのは、体力がすべてというのは、病弱になってみて初めてわかる事実である。体力がともなわなければ、未知の世界を創造するだけのきわめて熾烈な精神力が湧いて来ないのだ)

僕は一種腑抜けのようになった。

手当たり次第に本に手を伸ばしても長続きせず、次から次へと積ん読が増えたかと思えば、この年になって突然ファッションに俄然興味が湧いてきて、『Safari』だの『UOMO』だの『LEON』だのといった雑誌を、毎月端から端まで読み漁った。

(おかげで、ファッションに関する造詣はだいぶ深まった。まだ生地と織り方についてはちんぷんかんぷんで、どうせここまで来たのなら、徹底的に知り尽くすのみと思っている)

 

しかしそれも

「自己逃避ではないのか?」

と言われたら、否定しようがない。

そしてもうひとついけないことに、元々人嫌いであった性格がますますひどいものとなり、1週間に1度も他人と話をしないことも多くなった。

昨年の夏、果してなにをしてすごしていたか、まったく思い出せない。

わずかに9月になって、娘が遊びに来てくれて、ハッと意識が戻ったぐらいのものである。

つまり僕は、去年一年間、死んだも同然だった。

いや――事実上、死んでいた。