✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■10/25(金) ②追想(1)

■こうして半寝たきりになってみると、なんだかいろいろと思いつくことがある。

娘のについては、もう自分のできることをやるだけで、後はどんなに思い悩んでもしかたがない。

現役で合格した大学を、しかも複数の人間からもったいないと言われながらも、

「偏差値が低い」

という、将来を見すえたとはとても思えぬ理由で蹴ったのであるから、受験料を捻出するためにバイトをしようが、自己責任であるだろうし。

それに僕は、今年最初にして最後の1冊を出した印税のほとんどすべてを、娘の春期講習や大手塾の前期分の授業料、交通費として与えたのだから、恨まれることはないだろう。

 

もうひとつ、これまで自分は、はたして自分の書きたいものを書いて来ただろうかという思いがある。

これは、もはや娘の問題はいくら悩もうが解決しない問題であると認識し、あきらめた時から、自分にとってもっとも重要な問題として浮上してきたのである。

 

デビュー(厳密には意味が違う)作は2年近い準備期間を経て、その間楽しみながらあらゆる資料に当たりながら、夢中になって書いたのだが、なにか文学賞をとったわけでもないズブのシロウトの作品など、相手にしてくれる出版社は無かった。

友人の尽力で、わずかに1社、出版してくれるところが見つかって、今はもう存在しないその会社から上下巻を出すことができたのだが、もちろんのこと、書店での棚取りの力もなく、いやそもそも営業マンすらいない会社だったから、広告を打つでもなく、中小書店に仕入れをお願いするでもなく、大型書店の片隅に置かれただけではかなくも消えていってしまった。

 

その後は、まったく別のジャンルの作品を書かないかと言われ、当時は住宅ローンに生活費に教育費などで莫大なお金を稼ぐ必要があったから、興味もないし書きたいとも思わなかった分野について付け焼き刃の勉強をし、なんとか糊口をしのいでいた。

 

やがてそのジャンルにも陰が見え始め、ジャンルごと没落することは明白という自分の冷静な分析が働き、当時お世話になっていた別の出版社の会長、社長に直訴して、現在のジャンルで作品を書くことを了承してもらったのだった。

当時をふり返ると、まるで綱渡りであるが、しかもその新ジャンルもまた、最初のジャンルよりは何倍も興味のある世界とはいえ、まさかそこで自分の筆をふるうことになるとは思ってもおらず、結局は暗中模索、手探り状態のままこれまで何とか生き抜いて来た。

 

で、ふと、生活に追われて、とても大事なことを忘れてきたんじゃないかという気がしてきたのだ。