✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■9/17(火) 断酒1050日目 ①痛みの真犯人を発見!?…

■昨夜も断続的に痛みが走って目が覚めてしまい、また容量外の「リリカ」を服用。

だが、効くまでに時間がかかり、結局3時から6時まで起きていた(途中なんどかうたた寝はしたと思う)。

もうさすがにガマンできないと、もともと今日が予定日だった主治医のところへ。

極度の睡眠不足でなかなか起きられず、寝ながら枕元のミネラルウォーターに手を伸ばし、「茵蔯五苓散」を食事前に。

さらにチーズをかじり、アミノレバンを作りにようやく立ち上がり、ふたたびチーズをかじりながら横になる。

眠い。

NOW社のカルニチンは数ヶ月分も残ってるし、無いのは「ロキソニンテープ」だけだから、主治医のところに行くのは明日にしてしまおうかと思ったけれども、なんとか這うようにして着替えて出発。

眠かったけれども、ああ秋だなあ。

風が気持ちいい。

どこかへこのまま自転車に乗って、どこかへ行ってしまいたい。

ロキソニンテープを貼り、「リリカ」を服用すると、しばらくは痛みから解放されるので、いっそのことがんばって出かけてしまおうか。

お隣のお隣のお隣の駅(引越して、ひとつ離れてしまった)にある大磯の、無人となった大別荘地帯でも歩くかな。

 

数年前、その別荘地帯を歩いたことがあるのだが、明治維新以降、新しい支配者となった人々の建てた豪奢な別荘が、今では無人のままうち捨てられ、ある別荘はフェンスの中がまるで茨のジャングルのようになり、ある別荘は誰が手入れしているのか手入れが行き届いている。

たとえば三井だったか三菱だったか三越だったかの大番頭が建てた洋館は、今では相当なお金を出さなければ建設不可能というぐらいの壮麗な建物で、詳しくないので良くわからないが、大理石だの御影石だの、高価な石をふんだんに使った、爆弾の一発や二発食らってもビクともしないような造りだったりして、それが面白くて、つま先立ちして長い間のぞき込んでいたし、別荘と別荘との合間の小径が、これも大磯の役所が管理しているのだろうが、一応は人も車も通れるぐらいには管理されているが、行き交う人はみごとにゼロ。皆無の状態という静まり返った不思議な世界の探索が面白かった。

 

少し歩き疲れたと思えば、南の方角に進めば必ずどこかで海に出て、細長い公園などもあったりするのだが、もちろん人気は無し。

そこに独りたたずみ、高台から大海原を望んでいると、なにか歴史の谷間に落ち込んでしまったような、不思議な感覚を覚えたものだった。

 

もちろん、吉田茂元首相の別荘が建っているような場所だから(残念ながら漏電により消失してしまった。一時は放火説もあったりしたが)、いまでも関係財団が過去の財産として売らずに残しているのだろうが、これはどこか、京都の南禅寺の周囲にあるお屋敷街(細川護煕邸もそこに建つ)を逍遙したときと似通っていて、かつ東と西の文化の違い、さらには伝統を有した一族が多いか明治維新で成り上がった下級武士の一族が多いかの差異なども存在し、いろいろなことが空気として伝わってくる不思議な空間であった。

(京都の別荘群も、だいぶ成金が入ってきているという噂を耳にしたことがあるが、東国に生まれ育った我が輩にはあずかり知らぬところ)

しかし確かなことは、まるで足利氏や新田氏、そして我が先祖が一揆を組んでいた宇都宮氏などに攻め立てられ滅んでいった鎌倉武士のごとく、新たに興った下級武士という東国勢の夢の跡が、そこには哀れにも、厳然として存在しているという歴史の重みである。

 

その一帯は観光名所などあるわけではないから、たまさか大磯を訪れる観光客は、やれ鴫立つ庵であるとか、やれ「助六由縁江戸桜」の舞台ともなった虎御前(曽我十郎の妻であり、大磯の遊女だったという)が最後に庵を結んで死んでいったという高麗寺、荘厳寺。あるいは岩崎弥太郎の孫にして、敬虔なクリスチャンとして、大磯の駅前に乳児院を建てた(もともと岩崎家の別荘であった)澤田美紀記念館(エリザベス・サンダース・ホーム)などを散策して帰るのが一般であるから、うち捨てられた海岸沿いの別荘地などに好きこのんで入り込む変人は、僕以外に数えるほどしかいないのではないだろうか。

 

そうだ。秋を満喫するには、その大磯再訪と、あるいはまだ行ったことのない大磯よりちょっと先にある二宮から続く複数の散策コースのふたつを目標にしよう。

早くよくなれ。我が足よ。

 

■■今日は主治医のところで進展があった。

どうしても足の痛みがおさまらず、この1週間、夜まともに寝られないと訴えたところ、先生、

「ああそりゃ、腰だ。腰痛だ。腰椎狭窄症」

とすぐさま診断が。

そこの痛みが神経を伝わって、膝や足首などに出ているのだという。

 

前回は神経痛ではないと言っていたのに、今日急に診断を買えたのは、「セレコックス錠」を2週間服用しても、痛みがまったく取れなかったという事実から、先生は即座に、これは関節炎ではないと判断を買えたのだと思う。

とてもフレキシブルなお爺ちゃん先生で(先生、失礼)、たとえ民間療法といえども言下に否定するということはないのだが、根本はデータ主義であり、数字から病気を探索し類推していくタイプだから、診断内容を変えるのも早いのだろう。

そんじょそこらのやる気のない、野村先生よりはるかに若い壮年の先生といえども、初診の結果をなかなか買えようとせず、ただクスリの容量を増やしたり、強くしたりする医者が多い中で、先生はやはり尊敬おくあたわざる名医だと思う。

 

ああ、それだ!

と自分でも即座に思い当たることがあった。

たしか30代の後半だったと思うが、急激に腰が痛くなって来て、数日後には洗面台で前屈みになって顔を洗おうとしたら、激痛が走ってその場にうずくまったということがあったのだ。

ずいぶん前に、先生が「腰痛だな」と指摘した時には、そのことをすっかり忘れていたし、膝痛などはまったくない時期だったので、僕もそのまま忘れてしまったし、先生もそうだろう。

 

しかしその診断がはたして合っているかどうかはしばらく様子を見ないとわからないが、腰にも「ロキソニンテープ」を貼るよう指示された。

その時先生の口から、

「神経をブロックするリリカとか****とかいうクスリがあるんだけど(****は聞き取れなかった)、もうクスリの種類が多いから、痛い時はちょっとガマンしてもらって、とにかくこれで様子を見ましょう」

と、結局処方はされなかったが、しかし先生の口からも、奥医院と同じように「リリカ」の処方がほのめかされたのだ。

野村先生は、足のむこうずねの内側から足首に痛みが伝わっていく感じだと言ったとたんに、「腰痛だ」と断定し、「皮節と末梢神経の分布」というコピーを出してくれて、

「むこうずねの内側と君は言っただろう。それはLラインだから腰につながっているんだよ」

と以降ちょっと専門的な話になって、あまりよく内容がわからなかったのだが、とにかく、

「重い物を持たない。背中を反らさない。横になるときはなるべくエビのように丸くなって寝る」

などと注意を与えられ、「腰痛教室」というパンフレットをもらって診療を終えた。

奥医院では

「アルコール性神経障害ではないか」

と診断されたが、先生は腰痛のことよりも、アルコール性肝硬変の患者ということで、まずそれを考えたようだった。なにしろ初診ということもあるし。

(お医者さんウォッチングというのは、なかなか面白い(^◇^;)。

となると、いずれ野村先生のところでも「リリカ」を出すようなことになるかも知れないので、先生には

「なんとか湿布で耐えられます」

と言うしかないなあと思っている(同じ病気で複数の病院に通うことは許されないし、ましてや同じクスリが処方されているなんて市役所が知ったら、言語道断ということになってしまうから。いずれ腰痛が原因であることが、湿布を貼ることではっきりとして来たら、治りましたということで、野村先生のところで湿布を出してもらうのもやめた方がいいかも知れない。野村先生のところに通うのはあくまで肝臓その他の臓器のため、奥先生のところに通うのは神経痛のためということにしたいから)。

 

でもなんだか、結局湿布と「リリカ」の両方をやり続けていても、だんだんと痛みが激しくなって、いつか神経ブロックの注射をしなければならなくなるような気がするなあ……

 

いやあ、数日前から腰が痛いと思っていたが、それが夜も寝られない神経痛の原因だったとは……それ以前は自覚しなかったけれども、その影響で痛くなっていたのか……そのあたりの疑問は、とにかく数日様子を見ていなければならない。

 

うーん……腰に注射って、テレビではぜんぜん痛くなさそうだったし、数分で終わってしまっていたけど、やっぱり尻込みしちゃうなあ。

打ち終わった瞬間、魔法のように痛みが消えて、患者さんたちは笑顔を取り戻し、るんるん気分で帰るらしいけれども。

 

■■■ああ、痛い。そーとー痛い。

どうしていったん治ったかと思うと、そろそろ寝る準備をしようかというころに、数倍の痛みとなってぶり返してくる。

しかも腰痛と言われたからかも知れないが、辛い。

いや、こっちの方はロキソニンテープが単純に効いたらしく、だいぶラクになったけれども、同じ姿勢でパソコンに向かい続けるのが辛い。

ど、どうして執筆を邪魔する病気や怪我ばかりに見舞われるんだ!!?

 

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