✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

もしも生まれ変わって、もういちど作家になるなら〈その①〉

瀬戸内寂聴さんを始め、いろいろな作家が、

「すべての苦しみが肥やしになる不思議な職業」

「楽しい辛いが、すべて自分の棚となる」

などと言っているのを何度も耳にしてきたけれども、確かにそういう面があって、よほどのことでなければ、時間の経過とともに、貴重な人生の体験として脳に蓄積されてゆき、それが作品の端々ににじみ出てくる、あるいはその体験を前面に出した作品を書くといったことができるのが、この“物書き”とも呼ばれる作家業の不思議なところである。

 

■しかしひとつ異論があって、そうした辛く苦しいことが日常的に繰り返される環境にいたならば、時間による解決という神さまがせっかく与えてくださった力を発揮できないことになる。

発揮できないどころか、執筆の邪魔になって、人によっては筆を折ることすらあるようだ。

 

■「その辛く苦しい日常」というのは、ひとつ屋根の下に住む「女房」あるいは「伴侶」、「妻」である。

この妻との折り合いが悪く、顔を合わせるたびにケンカが起こったり、一方的にののしられたり、稼ぎが少ないなどと罵倒されたりしていたら、どんなに前向きの楽天的性格を持った作家といえども、なかなか作品世界に没頭できないだろう。

ましてや、くよくよと悩む性格であったならば、まったく筆が進まないばかりか、先ほど書いたように、筆を折り別の職業に就くということすら現実としてあり得る。

 

つまり、作家を志す人間にとっては、この妻選び、生涯の伴侶となるべき女性(女流作家の場合は男性ということになるだろうが、この場合には女性側が最低限の家庭的営みをこなしている限り、トラブルになることは少ないようだ)をいかに選ぶか、すべてはそこにかかっていると言っても過言ではない。

 

そんなことは他の職業でも言えるではないかとおっしゃる方もいるだろうが、現実の世界と、自分の創り上げた架空の世界とを行き来する必要のある作家・小説家という職業にとっては、極めて重要な要素と言えるのである。