✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■8/5(月) ③ラストスパートの時期が近づいてきた。

■夜、ビデオを観ながら(「メリーに首ったけ」(-◇ー;)、ひさしぶりの関節運動を。

腫れが引いて、急に元気を取り戻してきたみたいだ。

 

明日の燃やせるゴミとビンの資源ごみも出したし、カスピ海ヨーグルトも次の1週間分を作り終えたし。

 

このまま体調が元に戻れば、夕方の公園散歩もできるだろうし、春からスタートしようと思っていた市民プールでのスイミングも、もう少し涼しくなってからやれるに違いない。

でもその前に、いちどは海に入って、波打ち際に近い所をごく軽く泳ぎたいな。

そうじゃなきゃ、なんだか夏を過ごした気がしないもの。

 

■娘とも話したけれども、バイト、週に5日を3日に減らしてくれるということになって、とりあえずひと安心。

昨日帰ってしまった時は、こみ上げてくるものがあったけれども、この決して完治しないどころか、年齢を重ねるうちに間違いなく悪化する病気を抱え、小学校6年になる娘と別れて7年が経つのだから、ようやく心に強靱さが確立されて来たんだろうと思う。

 

こうなってくれれば、後は自分の好きな執筆に邁進するだけ。

まだ筆のリハビリも必要だろうが、ここでやらなきゃ、会社人間を辞めた意味がない。

退職前に第2の人生の目的を見つけられた人間はいいけれども、多くの人間が、まさか自分にもそんな時が来るとは思わず、50代も半ばにして焦り、あきらめ、呆然として家に閉じこもるようになってしまうのだ。

 

僕の場合は、経済的にも家庭的にも苦労した(苦労をかけた)分だけ、逆に元気で生きてさえいれば、死ぬまで机にしがみついて書くことができるという特権を持っているのだ。

 

僕の先輩を見ていても、みごとな引き際を飾る人間は意外と少なくて、定年間際に社長や取締役に憤懣をぶつけ大声で怒鳴ったり、定年後も行きつけの飲み屋やバーに現れて、そこのママや古株のホステスに煙たがられるなんて例をこの目で数多く見てきた。

 

のんびりと余生を過ごそうなんて人間は、実は案外と少なくて、たいていがジタバタするか、あるいは毎日焦るだけの日々を過ごすか、あるいは後輩に頭を下げてフリーでやらせてくれとエージェントを目指すも迷惑がられたりとか、達観できる人は少ない。

 

だったら、毎日知らない駅で降りて、知らない町を散歩して、知らない家の木々や花々を愛で、気に入った公園で弁当を広げて歩いてみることの方が、よほど幸せだと思うのだが、入社40年ともなると、身を粉にして働くことが、骨身にしみて抜けなくなってしまっているのだろう。

 

その頃にはすでに子供たちは独立し、役目を終えた「オス」を見る古女房の冷たい視線にいたたまれなくなって、追い出されるように家を出て、いったいこれから自分は何をしたらいいのかとにわか哲学者のようになってしまう。

 

そういう人間に限って、後輩を怒鳴りつけ、オレについてこいと言わんばかりの猛烈社員だったことが多いように見受けられるのだが、そうした先輩を上司に持った後輩たちは、いかに自分の不幸を嘆いていることだろう。

 

しょせん会社などは、それだけのところであって、決して仲良し倶楽部ではないのだということが、頭ではわかっていたはずなのに、いつの間にか洗脳されてしまっている。

 

僕もそうした身勝手な先輩たちに迷惑をかけられた口だが、その先輩たちを見返してやるには、もう少し長生きをして、もう少しマトモなモノを書くことしかないのだと思う。

 

肝硬変という長丁場の闘いの中にも、今回のように感性脳症であったり、医者も首をひねるような極端な浮腫とそれに伴う痛みであったり、今後もアップダウンは激しいだろうが、とにかくやるしかないと思っている。

 

最後まで机にかじりついて、気がついたら死んでいたというのが、いちばんの幸せだと思うけれども、なかなかそうは行かないだろうなという気も、一方ではしているのだ。

 

■そろそろ娘やまだ見ぬ孫たちへの遺言ノートを書く時期にさしかかってきたような気がしている。

そうなると、本業の執筆に加えて遺言ノートに、資料本の読破となるから、もっとブログを短く完結なものにしなければならないかも知れない。

年収が安定して、コンスタントに書き進んでいる同業者たちを見ると、まるで箇条書きのようなブログであったり、ブログそのものにも一切手を出さない出すヒマなどないという人間が多いのだ。

僕も自分を戒めながら、今後の事をひとつひとつ整理して考えていかなければと思っている。