✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■8/4(日) ③親の因果が……としか言いようのない現実。

■子供と別れて暮らす、すでに子供は旅立ってしまった、あるいは子供はいないといった人たちの中で、独身者はもちろんのこと、離婚したり、妻に先立たれたりして、独り暮らしを余儀なくされている人間も多いのだろうと思う。

それを考えれば、僕のような境遇でも、これは幸せものだと考えるべきであって、甘えてはいけないことなのかも知れない。

 

あの元妻と結婚しさえしなければ、もう少しまともな人生が送れたと思うし(まあ、最悪に近いレベルの組み合わせだったことだけは断言できる)、しかし一方で、娘と出会うことは無かったことも事実。

もちろん、また別の遺伝子を受け継ぎ、性格の違った娘や息子が生まれていた可能性も十分あるのだが、また一方で、子供ができなかったり、問題児に育ってしまったり、生まれた時から障害があったり、そんなことだって十分あり得るのだから、僕は自分自身のことを幸せ者だったと考えるほかない。

そうでなければやっていけないし、すべては神のみぞ知るのだから。

 

少なくとも僕は、この世に自分の生きた痕跡を残すことができたわけで、あとはその痕跡である子供たちが、僕のような寂しさ、苦しさを味わうことなく、楽しい人生を過ごして欲しいと願うだけだ。

 

■それにしても息子(娘の兄)は、間に入ってくれている僕の実弟とメールでやり取りをしているのかしていないのか、たったひとりの妹になにもしてやるつもりもなく、ただ自分が大学に現役入学したことだけをよりどころにして、

「お前が勝手に浪人するんだから、受験料ぐらい自分で稼げ」

と父親代わりになったつもりで説教をしているそうなのだ。

 

妹の受験も正真正銘あと半年で終わるわけで、しかし娘は言われて悔しいからとパン屋のバイトを見つけたはいいものの、研修1カ月とかそんなの正社員だろうというようなところに引っかかってしまい、週に5日、1日4時間働いて欲しいと言われているそうだ。

 

そんな時間をバイトに費やしたら、入れる大学さえ入れなくなってしまう。

それがはたしてわかっていて、息子は妹に援助をしてやらないのだろうか。世間的には名前の通った、おそらく低くはない水準の給料をもらっているにもかかわらず……。

 

なにも妹の経費をただ出してやれと言っているわけではない。

彼はバイトをしながらもそれだけでは足りず、僕の弟から学費を借りて卒業へと漕ぎ着けたのたのである。

そのお金をまだ返し始めてもいないらしく、そろそろ返さなくてはならないのだから、その一部を妹にまわしてやれ。

まわしてやった分は、僕が必ず弟に払うからという条件を弟に伝えてあるのだが、いったいそこになんの不満があるというのか、僕には到底理解ができない。

 

大学の学費を200万円借りたとして、そのうち30万円を妹に援助してやり(塾の後期のお金と受験料でそれぐらいはかかる)、そのお金は僕が払うと言ってるんだから、彼はなにもお金をよけいに支払うわけではないのだ。

200万円なら200万円という、総額に変わりはないのである。

 

まさかそんな冷淡な息子に育つとは、これっぽっちも思っていなかったが、親が肝硬変になろうとも、生活援助課から、

「お父さんに援助する意志はないですか?」

という問い合わせに対しても無視を決め込み……

(出すと言っても息子からは死んでも出してもらうつもりはないが。だったらのたれ死にした方がマシだとすら考えている)

 

ネパールの貧しい子供たちに、ボランティアで図書室を作ってやるとかなんとか、大学時代からそうした活動にいそしんできたのは立派だと思うが、身近な人間、父親や妹に対してはなにもしないというその考え方、感性が、どうしても理解できない。

 

血縁よりも、遠く海を隔てたネパール人の方が大切だとでもいうのだろうか。

 

世の中には時々、自分の理想に酔って足もとを見ない人間が見受けられるが、まさか我が息子がそんな机上の空論をふりかざす、理想主義者になるとは思ってもみなかった。

これでは、社会主義国の原爆は正しいが、資本主義国の原爆は悪であるとか、阪神淡路大震災のとき、緊急出動した自衛隊が港に上陸するのを阻止しようとした労働組合とまったく同じ考え方ではないか。

 

■クソッ!

と大声で罵り声を上げたくなるけれども、それもこれも、僕が会社を辞めずに、半狂乱の妻のもとで、ハイ、ハイと言うことを聞いていればよかったということになる。

 

しかし当時の僕はそうした日常がもう限界に来ていたし、今でも元通りよりを戻すなどまっぴらご免である。

 

だから結局、親のわがままであり異常性であったり、そうしたものをモロにかぶってしまった子供たちが、いちばんの犠牲者だと思う。う

本当に申し訳ないと思っている。

 

だからこそ、まだくたばる訳にはいかない。

モルヒネの錠剤をかじりながらでも、作品を書き続けなければならないと、その覚悟だけはしている。