✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

小説家とライターとの間の太い線(その2)。

ライターと言われるグループのなかで(海外ではフリーランサーと言わないと通じないようだ)専門家に近い人間たちの知識の深さは「すごい」としか言いようがないし、これはそんじょそこらの小説家はもちろんのこと、ヘタをするとニートなジャンルでは学者先生よりもはるかに上。

 

例えば農業問題だったら農業問題、経済問題、スポーツだったらスポーツといった具合に常に勉強し続けているから、分野によっては学者よりも物知りだったりするわけだ。

なにしろ人によっては自腹を切ってまでその問題について追及を続けるから。

 

たとえば学者には予算というものがつくし、研究室の学生なんかをただで使ったりできるから、けっこう大規模な研究や分析ができる。

ところが予算などには無縁で、ひたすらひとり、自分の足で歩いて稼いだ知識を武器にしているスペシャリストとしてのライターは、学者もびっくりの知識を有していることが往々にしてある。

こうした専門性を有した人間が取材もできるとなればこれほど強いことはない。編集者としても使い勝手は最高だし、すべて任せておける希有な存在だ。

(ただし専門性が高いということは守備範囲が狭いことが多いので、なかなか仕事にならないという欠点も併せ持っている)

 

これに対して、自分で勝手に名刺を作り、勝手に「ライター」「フリーランス」などと印刷して、やっていることは事実上の便利屋に過ぎない人間の数ははるかに多いと思われるが、こうした人間の場合、仲の良い編集者が人事異動でいなくなったりすると、同時に消えてしまうこともまた多い。

 

もっとも安定しているのは、かなりの専門性を有していながら、一方では一般のライター同様使い勝手のいいライターを目指している人間だろう。

複数の専門性を持ちながら、名前ばかりのライター以上に小回りが利き、文章ははるかにうまいともなれば、これは生活が安定して当たり前だろう。

上手なたとえではないかも知れないが、同じ専門性を有しているライターの中でも、サッカーだけは日本で五本の指に入るけれども、野球についてはなにも知らないとか、サッカーだけでなく野球もゴルフもなんでせござれというライターとの違いといったらいいだろうか。

 

(現在スポーツで狙い目なのは、英語に堪能で、通訳を雇うことなく自分でインタビューまで可能なライターだろう。ゴルフでも野球でも水泳でも、世界と日本との壁がなくなってきている昨今、ライターにも同じような能力が求められるのは当然のことだからだ。しかしそうしたライターが少ない以上、これはかなり狙い目といっていいだろうと思う)