■5/05(日) 断酒916日目(130505)
4時半、また間違えて起床。寝直して8時過ぎ起床。
現在洗濯の合間に関節運動中。
■洗濯物を干し終え、ごみをベランダのごみ置き場にまとめ、ヨガの音楽を聴きながら朝の運動を終えたところ。
この間グレープフルーツジュースを絞って飲み、バナナ1本、ナッツ主体のミューズリー+牛乳+オリゴ糖とクスリ。
なんだかここしばらくの間ではもっとも体調がいい。
これで起きる時間を間違えずに、ぐっすり8時間眠れるようになったら最高なのだが、ともかくもLカルチンが効き始め、全身にエネルギーが行き渡り始めたようだ。
ここまで来るのに、緊急で診察してもらい、Lカルチン錠を飲み始めて2週間ちょっと。
その前にも昏睡状態が続いたりしていたから、1カ月半近くかかったことになる。
まだまだこれからだろうが、とりあえず胸を撫でおろしてもいいかというところまでは来たのではないかと。
とにかく無理をせず、なにかひとつ動くたびに体に
(だいじょうぶか?)
と聞きながら行動しなくては。
これから昼食準備。
■もやし一袋に豚肉、にらをざっと炒めて昼食。もやしだけでもかなりの量が胃袋へ。
その後洗い物をしてから15分ほど身を横たえ、さらに15分ほどペパーミントオイルでふくらはぎを軽くマッサージしてから、血糖値対策もかねて買い物へ。
ティッシュと、プリンと、トマト、レタスのみ。
きわめて体調がいい。
いきなりズドンという感じで倒れ込んだが、同じようよガバッと起き上がった感じ。
なにしろ数日前までは自転車のハンドルはふらつき、財布の中身を二度続けてばらまき、銀行の通帳再発行でいろいろミスを重ね、夜中には自分がどこにいるかわからずにトイレにも行けずといった状態だったのだから。
1日なんども寝ていたのも、高血糖からではなく、恐らくはエネルギー不足から来ていたということがはっきりわかってきたので、これも嬉しい。
さらに好調になれば、睡眠も今よりしっかりとれるようになるのではないだろうか。
執筆続行中。
頭のめぐりがまったく違うから、こうすればいい、ああした方がいいと気づくことばかりで、その分スピードが落ちているが、新シリーズの書き出しで良かった。
たった今、その手直しが終わる。もう同じ所を3度も行ったり来たりしていた。
■断酒してからだけ数えてもほぼ2年半、治ったと思ったらまた寝込みを繰り返して、ようやくここまで来た感じ。
断酒前は、たぶん飲み過ぎか宿醉のせいだろうと思っていたのだが、実はあのころから脳細胞がいかれ始めていたのだ。
以前はもっと頭がクリアだったはずなのに、丸一日たっても薄く白濁したような、半透明の幕が張られているような、もやもや感があったのに、それが今日突然消えた。
いきなり雲から太陽が顔をのぞかせた感じ。
もちろんこれがまっすぐ続くとは思えず、これまで通り一進一退が続くのだろうが。
ともかくも、この体調の良さが仕事から生活から、すべてに好影響を与えている。
■仕事は、ページ数は別としてまあまあ。
生活が充実していると、ブログの量が減ってしまう。
これから10分間のステップ昇降をやって、食後の血糖値を止めてしまおう。
■いま『小説家を見つけたら』を鑑賞中。
■連休中、息子は就職後はじめて千葉の家に帰ってきて、いろいろ話をしているようだ。
だが結局、連絡はなかった。
娘は、
「どんどん頑固になっている」
と言っていたが、おそらくは元妻に似てそうなのだろう。役人になる資質をたっぷりとそなえた想像力の欠如した人間――
彼にしても弟にしても、想像力が欠けている方が、どうもマスコミの世界では成功するものらしい。
息子はこれからだからまだわからないけれども、この予感は間違いなく当たっていると思う。
「虹の向こうへ行ってみよう」
か……
若い娘はいま旅立ちの準備の真っ最中だし、僕はまるで今の映画のように、ろくなものを食べず昼夜逆転した独りきりの生活を送ってきた。
昼間だろうがかまわずアルコールを口に入れる生活を、理解できる人間は少ないだろう。
僕は出版社で出世をするより、そんな自堕落としかみえない人生を選択したのだから、これはしかたのないことだ。
ショーン・コネリー演じるところの老作家は、革張りのチェアに座りながらウイスキーを空け、一歩も外に出ない暮らしをしていたが、あれほど飲んでいきなり元気を取り戻し、自転車で颯爽と走れる男はいないだろう。
彼のように酒浸りになれば、立ち直るまでには長い時間がかかるか、立ち直る前に倒れるか、あるいは朽ち果てているだろう。
僕も断酒して2年半だが、いまだにぽつりぽつりと病が他の所に出て来て、まだ時間がかかりそうだから、これは神さまが、
(立ち直ってもういちど書きたい物を書くんだったら、これが最後のチャンスだぞ)
と言ってくれたに違いないと思っている。
僕はあと10年なら10年、虹を越える努力をする体力と気力を取り戻すことができた。たとえ虹は渡れずとも、僕と性格がそっくりに育った娘が代わりに飛んでいってくれると思う。
そして、兄や元妻や友人といった「マトモな人々」に後ろ指をさされるような苦しいことも味わうに違いない。
それでも力尽きるまで飛び続けて欲しいと思った。
僕も力尽きるまで、もう一度離陸してみようと決意を新たにした。
寝る前に幸せになれるいい映画だった(映画としての出来は別として)。
独りでもあきらめずに筆を執り続けることの大切さを、もういちど思い出すことができたような気がする。
また明日も、今日と同じような日乗が続くだろう。
そしてようやくさほど苦しまずに済むようなところまでたどりついたのだ。
心平らかになるのも、そう先のことじゃないだろう。