✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■4/26(金) (パート2)

今日はまったく外に出ず、ごろごろしたり、焼いておいた魚や肉をチンして食べたり、領収書の整理をしたり、簡単な運動だけしてゆっくりしていた。

完全なる休養日となった。

 

あれからいろいろとサイトを見ているのだが、症状からはやはり低血糖としか考えられない。

なんらかの原因で高血糖(血糖の境界値)にもかかわらず低血糖になってしまって、それでひどい眠気を感じたり、集中して考えることができなくなっているのではないかと思う。

今日思い切って全粒粉のビスケットを食べてみたら、なんとなく調子がいいのだけれど、自宅で血糖を測れる機械にとりつけるチップが高くて買えないので、また来月主治医のところで聞いてみるほかはない。

これ以上は素人の僕では判断不可能。

 

■横浜の弁護士さんに命じられた書類はあと数枚。

もしかしたら必用ないと言われるかも知れず、連休明けに聞いてみればいいかと。

必用な場合でもとりわけ面倒というわけではないから、大きな山場はあともう少し。

追われば娘の受験と執筆にかかり切りになるだけで、ストレスからはずいぶんと解消されるだろう。

 

■じりじりと順位が下がっている。

順位はあてにならないものの、全体としての傾向のようなものは感じ取ることができるし、あまりパッとしないようだ。

まあ長年こんな調子だったな。

だんだんとカンのようなものが戻ってはくると思うんだけど。

 

ゆっくりやろう。

苦しいけど、ゆっくりならできる。

娘の塾代だけなんとかすれば、あとはどうにでもなる。

ここまでがんばって生き延びてきたんだから、こんな時もいくらでもあったはずだ。

ただ、シリーズ打ち切りなんてことになった場合、次まで時間がかかってしまうというのが難点だけれども大丈夫そうだし。

ここまで生きてきたんだから、これからも。

 

■しかしそうは言っても、寂しいとか辛いとか、そういう感情はほぼなくなったにしても、食事のときに誰もしゃべる人間がいないのには堪える。

いまこの命が尽き果てるとして、その前にどうしても書いて置きたい1本だけ書いて衰弱死したとしても、誰も気づかないだろうし、残された息子が幾筋かの涙を、そしてまだ社会人になってはいない娘があるいは号泣するかも知れないが、ただそれだけのこと。

いずれ自分の存在など――たとえ父親といえども――忘れ去られておしまいだろうし、すでにほとんど書類の整理はついている。

墓も祖父・祖母と母・父が眠っている墓があるだけだから、わずかにそこに運ばれる車代、あるいは散骨してもらうんだったらいくらかかるのか、しかしせいぜいそんなものだろう。

なんだかもう、やるべきことは、自分のできるわずかな範囲内に過ぎないけれどもやって来たし、もし生まれ変わっても、息子や娘がいるというのがこんなに苦しいことならば、これ以上のことはないだろう。

本当に、なんだかもう、精神的にも肉体的にも終わりかけているんじゃないしと、歯磨きを終えてふとそう思った。