✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■4/19(金) (パート2)

■今日は風が強い。

ずっと行きたかったfujisawaのジュンク堂に出かけたいのだが、どうしようか迷っている。

 

体調はいまだ変わらず。

少し良くなったような気もするが、偽薬効果であるような気もする。少なくとも来週末までにはなんらかの変化が感じられるかどうかがわかってくるような気がする。

 

■午後になったらますます元気。

少し本格的に「踏み台」をやってみる。速度は毎分90ステップで。

CDからピアノを片手で弾いているようなゆるーい音楽。

「LONG LONG AGO」 から始まって、「春が来た」、「花」、「茶つみ」……

なんだやっぱりお年寄りのためのリハビリ運動かと半分小馬鹿にしながら続行。

「七つの子」「森のくまさん」あたりから多少息切れが始まり、「こぎつね」「虫の声」で足もとがふらつきはじめて、「もみじ」「我は海の子」でヒイヒイ始まって、最後の「ドレミの歌」が終ったとたんに倒れる。

わずか10分。

森のくまさんの余韻がずっと脳内に続いている。

こ、こりゃキツイ……

これがステップを高くし、到達目標である毎分120分になったら……うわあ、もしかしたらできるようになるまで1年以上かかっちゃうかも。

 

■結局今日は外出せずに机に向かっている。

たとえ偽薬効果だとしても、今日は昨日より、昨日はおとといより、なんだか頭がスッキリしていて、仕事をしたくて仕方がない。

いまだ思っているようには進んでくれないが、それでも何行かずつぽつりぽつりと前進を続けているのは精神的にもいいものだ。

 

明日は終日曇りとのことだし、夜には傘マークも出ている。これも1日仕事をして過ごせという文筆の神さまのお告げだろう。

 

■今日の仕事はおしまい。これから肉とレタスを茹でて、温しゃぶにするつもり。

まったく、仕事をふり返ってみるとイヤになる。

イヤというのは、進み具合の量でもあるが、それより、

「いったいこの長い時間、自分はなにを書いてきたのか」

ということである。

病気だからしかたがないと言えば仕方がないのだろうけれども、こうあまりにも修正が多すぎると、さすがに自分がイヤになってくる。

結局最初から書いた方がはるかに早かったのだが、いつも書き直しとなるとこうして苦労してしまう。

 

しかしそれに気づいたこと、悔しい思いをしていること自体、自分の病が少し良くなった証しではないかと、安堵にも似た思いを同時に抱いていることは確かだ。

 

■アマゾンの順位というのは、実際の売り上げとはまるで一致せず、いい加減なものだと知りつつも、それでも何十万位とずるずる下がっていくのを見ていると、不安ではないと言えばウソになる。

それが今日の昼、ふと思い出して見てみると2万位を切っていたのを見て正直ホッとした。