✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■3/03(日) 祖父の命日にあたって。

今日は僕の母方の祖父であり、実質上父親であった「お爺ちゃん」の命日。

なにもしてあげられない。

料理につかうから買ってある宝酒造の「呑」と、水を替えるのと、オレンジを供えて、手を合わせるのみ。

一段落したら、必ず多磨霊園までお墓参りに行きますと。

 

会社を辞めてから、もう14年になるのか――辛いことが多かった。

それでも戦い続けてきたし、いまでも闘っている。

しかし、去年あたりから、なんだか

「帰りたい」

という気持ちが頭をもたげてくることがある。

もちろん帰るところなどもうない。

実家は売って弟と分け、僕は自分が住むマンションの敷金礼金と、布団や机すらない家の備品を買いそろえ、毎月20万円の養育費を元妻に支払い、なおかつ元妻と子どもたちが住んでいる家が銀行に差押にならないようにと、住宅ローンを20万円弱払い続けていたら、当たり前だけど、半年でお金がすべて無くなってしまった。

 

その後は生命保険をやめて生活費にあて、最後に残ったアフラックガン保険も、娘の受験で必要だろうからと解約してそのお金でパソコンを買い与え、実家はもはやなく、子どもたちのいる千葉の家にはもはや帰れないのだから、どこにもないのだ。

もう一段安いところへと引越してきたこのtujidouの古くて小さな賃貸以外には。

 

それでも、ふと、

「帰りたいな」

という言葉が口を突くことがある。

なぜかわからない。

どこかに自分が闘わずにゆっくりと過ごせる場所があるような気がしているのかも知れない。

しかしもしそれが、潜在的に「楽になろうとしている」のだとしたら、恐ろしいことだが、どこかで自殺でも考えているんじゃないかと頭を振ってその考えをふり落とす。

 

それでも「消えてしまえたら」と気持ちはなかなかふり落とせない。

すうっと、この世から消えてしまったら、どんなに楽だろうという気分になることがある。

命日の今日、それはこの仏壇のなかなのかなと、ふと思った。