✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■2/21(木) いちばんキツイのが新聞。

新聞はキツイ。

購読者数が毎年どんどん減ってゆくのを止められないのだから。

しかも今回の原発事件で、当初東電や御用学者の側に立ち、

「レントゲンをとるのと同じレベルの放射能ですから、心配しなくていいです」

みたいな記事を垂れ流していたことから、これまで築いてきた信用がぶっ飛んでしまった。

事実勧誘に来る読売や朝日の販売店の人間に、ドア越しに、

「いや、今回の原発報道で、新聞はとらないようにした」

と言ってみたところ(本当はお金がないから (-ω-;)、

「ですよねー」

とあっさり帰ってしまったのには少し驚いた。

おそらく現場で“モノ”を売る販売店側と、大東京のど真ん中に本社ビルをかまえる新聞社の人間とでは、意識に大きな乖離ができてしまったのではないだろうか。

 

しかも新聞にとって状況的にマズイのは、ネットにおける報道の方を信じる若者が増えているという現実がある。

購読者数が漸減しているのは、なんやかんや文句を言いながらも、

「むかしからとっているから」

取り続けるという家庭が多いから。

「販売店さんとは何代にわたる付き合いだから」

「テレビ欄がついているから」

など、他の理由もあるだろうが、総じて年寄り世代が取り続けているおかげで激減していないだけであって、おそらく何十年か後には、落ちるところまで落ちていることは想像にかたくない。

 

危機感を抱いている朝日新聞などは、朝日ドットコムで、

「この先を読みたければ、有料会員になってください」

という考えようによってはかなりセコい商売の仕方を始めているけれども、それだけではかつての購買者数を取り戻すことはまず不可能だろう。

月に数百円のお金がかかるなら、フリージャーナリストの有料サイトや、原発だけでなくいろいろな社会的問題に特化した有料サイトも互角のライバルとなってくるし、テレビ欄だって無料で見られちゃうわけだから(テレビ番組をしっかり録画したい視聴者は、テレビガイドみたいな雑誌を買えばそれですんじゃうし)。

 

しかも記者クラブというカルテルというか株仲間というか既得権益の構造があるから、実は報道にも制約があるという事実が、一般読者にバレバレになってきてしまったことも大きい。

「ここまで書いていいか悪いか」

を、各社が相談しあって決めているわけだから、原発なら原発問題で、えぐりとったような強烈な記事というのはなかなか出てこない。

抜け駆けのような記事は、他社から叩かれる構造になっているのだが、ここには勇気あるというか新聞記者魂を失っていない現場の(とりわけ社会部)記者がまだ存在するし、東京新聞のように原発問題に特化した記事を掘り下げていって、他社がグウの音も出ないぐらい深い取材をしてしま,うから、記者クラブとしても叩くに叩けないなんてところもあるけれども、それにしたって海外メディアや有能なフリージャーナリストを排せきしている記者クラブという存在に、正義はないと思う。

 

新聞の強みとしては、全国津々浦々に地方新聞があることがそのひとつだけれど、トップ記事を中心としたメイン記事を購入する構造になっているのは、なんともはや中央(すなわち東京)にいる国家官僚とよく似ているのに驚く。

(考えてみりゃ当たり前だけど)

 

ということは、いずれ日本が8分割なら8分割とかされて道州制を導入したとき、中央官僚同様、中央マスコミもかなり力を殺がれることは明らか。

中央官僚はまだ国家による保証があるけれども、どんどんと収入が先細っていく“民間の”公器である新聞は、官僚以上に没落のスピードが早いのではないかと予想される。

 

さらにさらに、ネットで英字新聞を読める若い世代なんてどんどん増えているんだから(僕はひとつの記事を読むだけで、その日の英語読解の勉強終わりましたーって感じ)、朝日ドットコムの有料会員囲い込みの狙いもいずれ行き詰まってくるだろう。

 

つまり、日本という国における地域ネタは、地方新聞や地方テレビがになって、互いに面白いと思った記事を交換し合うような互角のシステムが構築されていって、中央新聞の役割は、あくまで政財界、外交、防衛、広域犯罪などに限られるという、これまた国家官僚と同じような変貌をとげていくのではないかと思う。

 

記者クラブのような「囲い込み」をした組織は、いずれそこに属さない別組織によって「囲い込まれる」運命にあることは間違いないのではないだろうか。