■2/4(月) 独りで死ぬということが怖くなくなってきた。
息子からも娘からも、これまで連絡をくれと言ってもなかなか連絡がなかったし、この調子だと、たぶんもっと年をとって部屋でぶっ倒れても、彼らは気がつかないんだろうなあと、そんなことを時おり考えているうちに、耐性がついてきたかも知れない。
池波正太郎さんの小説じゃないけど、
「最後を看取ってくれないか」
と、年老いた泥棒が若い女を娶るかどうかしたのだが、年老いた人間の気弱さというのはとてもよくわかる。
わかるけれども、でも世の中にはうまいこといかなかった人間も多くいるわけで、間違いなく僕はその部類に入る。
あのまま家を出て行かなければ、正月とかなにかの際には子どもたちの顔を見られただろうし、うまくすれば孫の顔を見られたかも知れないが、アル中に近い妻とひとつ屋根の下で暮らすのは地獄そのものだっただろう。
元妻の父親、母親と一階二階で別れて一世帯住宅を作っていたのだが、彼らももう80歳近くなってきて、いずれはこの世とおさらばとなってしまう。
その後、子どもたちも出て行ってただっぴろく感じるようになった一軒家で、はたして心落ち着いて過ごして行けただろうか。筆をとっていられただろうかと考えれば、間違いなくNOである。
家を出て、間違ってはいなかったと思うし、元妻のアル中は別段僕が会社を中途でやめたからなったというわけではなく、生まれつきの性格と、父親同様ホルモン異常が遺伝したせいだとしか考えられないが、ふり返ってみれば若い頃、結婚前から異常の芽は少しずつ育っていたかと思う。
だから、もし会社に勤め続けていればますます重責を負ったであろう年代に差しかかったとき、いずれ僕の方が参っていただろうし、なにかどこかで爆発していたと思う。
だから選択肢としては間違っていないと思うし、唯一謝らなければならないことがあるとすれば、子どもたちに金銭面で迷惑をかけたことだ。
となれば、僕は老後を子どもに看てもらう資格はないわけで、ましてや離婚をしてややノイローゼになりかかった僕からの電話に、
「今年の冬にでも娘といっしょにそっちに遊びに行くわよアハハハ……」
という耳を疑うようなことばかり言い続けている元妻に、病院のベッドで弱って起きられない(=出て行けと抵抗できない)ような姿をみせたくはない。
当然の帰結として、自分は独りで死ななければならない。
今後再婚の可能性は「確率」としてはあるかも知れないが、いちどたりとも女で幸せになった試しのない僕は、とにかく女性が怖くて仕方がない。
どんなに明るく陽気な人でも、
(もしかしたら結婚してしばらくすると、性格が豹変するんじゃないか)
という言いようのない恐怖感がある。
そして、独りで死ななければならないということを、毎日少しずつ受け入れざるを得なかったところ、次第に受け入れることが自然となり、今ではようやく、
「人間はひとりで生まれてひとりで死ぬ」
という当たり前の言葉を、ようやく理解できるようになってきた。
いわば絶望的な孤独感がいっぺんに襲ってきたことで、なんとかそれに耐えて再度立ち上がったとき、以前よりはるかに強くなった自分を感じるようになっている。
孤独や絶望といった一見負の状態も、また反作用として、正の状態をもたらしてくれるのではないかという実感をもともなって。
これは、苦しみ苦しみ生きてきた人間に与えられる、神さまのご褒美じゃないかと思っている。