✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 誰もが不調になること間違いなしなんだから(2)

肝となるのは、すべて、

「若いうちから適度な」

という言葉。

これは必ずしも関節の不調ばかりに当てはまる言葉ではなく、僕のように酒を飲みすぎて内臓を壊した人間にもあてはまる。つまり僕は、「若いうちから適度な酒」を飲むということをしなかった結果、引き起こされたものであることは言うまでもないし、あったりまえのことを聞かなかった自分は、やはり精神的にバランスを欠いていたんだろう。

「適度な」という言葉はわかりやすいが、実は「若いうちから」というのはけっこう重要な要素であるのに、素通りしてしまう人が多いと思う。

この場合の「若いうちから」というのは、「まだ病気になる前から」「まだ怪我をしないうちから」とも言い換えられる問題なのだ。

誰しも、年を取ると体が弱くなるということはわかっているのに、すべての意味を含めた「若いうちから」、それに対処している人間はかなり少数に思える。

実際、僕のような年になっても、それでもまだ仕事ばかり飲酒ばかりで、運動をひとつもしない、内臓のメンテナンスをしないという人間の方が周囲では圧倒的に多い。

ジムに行っても、問題意識のある若い人間、高校生ぐらいからせいぜい40歳前半という人は多いが、その後年齢が開いて(離れて)、いかにも定年後に来ましたというお年寄りが多くなる。

実はこのジムから消えた年齢層というのが、病気になるかならないかのかなり重要な時期にあることがわかっていない。あるいはわかっているけどジムなんかに通う体力はなくて、休みの日はひたすら寝ていたい。あるいはすべてを趣味に費やしたいという年代層なのだが、ここで発病してしまうとその後回復するのに1年2年かかっても当たり前ということになってしまう。

つまり、東洋医学でいうところの「未病」の段階で押しとどまるか、あるいは「病」というレベルにまで転がり落ちてしまうのかの分かれ目の年代に差しかかっているといっていい。

 

幸いにして(不幸にして)僕の場合は、初めて宿った生命が、稽留流産ということで死んでしまい、その翌日からただちに煙草をやめてみたら、高血圧は治るわ、それ以来軽い狭心症のようなものが一切出なくなるわ、睡眠時無呼吸症候群が自然に治ってしまうわという驚くべき回復を引き起こしたのだけれども、もしあのまま禁煙しなかったら、たぶん僕はヘタをすれば心筋梗塞などで倒れて死んでいたような気がする。

 

その後33歳で無事生まれて来てくれた息子と空手教室に通ったのだが、そうしたら今度は痛風の数値が劇的によくなって、たまに痛飲が続いた場合に発作が出かかったけれども、薬は要らないということになって、東京女子大膠原病リウマチ痛風センターに行く必要もなくなってしまった。

これもヘタをしたら、腎臓を壊して人工透析になっていたかも知れないのだから、間一髪、「未病」で済んでしまった(それもこれも、27歳のときに死んだ母と、稽留流産で生まれてこなかった子どものおかげというか、ようやくきちんと行きてやろうと襟を正すことが出来たのである)。

 

そしてこれらの経験があるからこそ、僕は毎日、友人から笑われるぐらい、肩、肘、腰、膝の運動をおこなって、生活の質が悪くならないように注意している。

 

だからここで声を大にして言いたいのは、病気や怪我になってから病院に行くのではなく、なにかひとつでも不調があったら、そこをこれ幸いとして突破口とし、あらゆる検査をしてもらい、疑問に思ったらクリニックや診療所を変えて医者にも出来不出来の差が歴然としているという事実を知り、他方ではウォーキングでもスイミングでもよし、少しは若い女性を見習って、ヨガでもピラティスでもいいからジムのスタジオに通ってみる、あるいは僕のように本を読みながら研究を欠かさない努力を続けた方がいいと思う。

どんなに仕事で評価されようとも、人より10年早くリタイアせざるをえなかったり、ヘタすりゃ寝たきり、もっと悪ければ死んでしまったら、そんな会社の評価なんかまったく意味を持たないんだから。