✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 12/5 腐った頭で考えた「カレ氏」「ボーイフレンド」「セックスフレンド」(2)

なあんて書いてくると「セフレとは違う!」と女性側からお叱りを受けるんだろうけれども、愛があるセックスという意味ではやっぱりボーイフレンドよりもセックス・フレンドに近いんじゃないか。

 

まあ、そこまでもいい。それが時代の流れであり、人間としての素直な感情の発露であって、これまで僕たちのような世代が生きてきたような社会の抑圧を払拭した理想的な世界であるというなら、それでもいい。

 

しかしじゃあ、なんでどんどんと離婚する人間が増えてるんだろう。

人間としての素直な感情の発露で、ごく自然に結ばれたのであれば、離婚率の上昇に歯止めがかからない現実とはいったいなんだろう。

もちろんそこには社会環境もあるから、むかしに比べて「家」という縛りがなくなったとか、離婚が罪悪視されなくなったとか、女性が独りでも或いは子どもがいても、なんとか働いて食べて行ける時代になったとか、さまざまな理由によって離婚率が上がっていることも、もちろんあるんだろうと思う。

思うけれども、やはりどこかで、

「簡単にくっついちゃうから、簡単に別れちゃってるんじゃないの?」

という思いが捨てきれないのも正直なところなのだ。

 

じゃあ自分の娘がそうなったらどうするんだと言われもしたけれども、いや、僕はその女性たちがそれこそ勝手に僕のことを想像し決めってたのとはまったく違って、女はどんどんいろんな男とつき合った方がいいと思っている。

結婚するまでウブで、結婚してから男の身勝手さを知って、傷ついて離婚するよりはずっといいと思っている。

当然そこにはセックスの問題もついてまわることだろう。

 

しかし、どこか釈然としない。

カレ氏という言葉に引っかかっているんだろうか。

セックスしようがしまいが、「カレ氏」という言葉には、もっと重みがあって欲しい、重みを感じて欲しいのかもしれないな。

 

出会ったその日に、ちょっと気になった男と出来てしまって、そのまま体の関係を結んだら、もう「カレ氏」なのか。

理由を尋ねればきっと、好きだからとか、ひと目ぼれとか、この人しかいないとピンと来たとかいう答えが返ってくるんだろうけど、それってホントに愛のあるセックスなのか。

どうも僕には「カレ氏」という言葉には、好みの男とデキちゃいたいということがメインであって、そこにいろんな理由をくっつけて自分と周囲とをごまかしているような気がしてならないのだ。

 

僕がなににこだわっているのかいうと、たぶん、「カレ氏」という言葉遣いに見え隠れしている欺瞞に対してじゃないかという気がしている。

赤信号みんなで渡れば恐くない的というか……。

「成金」のことをセレブと呼ぶと、なんとなくことの本質をごまかせるような気がするらしくて大流行しているけれども、「セフレ」もカレ氏と呼べば本質を糊塗できるという薄べったい狙いから来ているんじゃないかなあと――もちろん、全員が全員そうだということはないだろうけれども。

 

なんてそんなことを言ってるからモテないのだ。年寄り臭いと言われるんだろうな。

ま、どうでもいいことなんだけど、原稿にぐわーっと集中してエネルギーを注いじゃうと、こういう腐った頭になるってことだろう。

どうも僕には、疑問はたくさん湧くけれども、それを筋道立てて考えるという能力に欠けるようだ。