✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 11/3(土) 日記代わりのスケジュール帳を買おう。

先日テラスモールに入っているLoftで1月始まりのスケジュール帳を物色していた。

大判のB5版タイプだが、日記代わりに使いやすそうな罫なのに、その種類は大きさがひとつしかなかった。

やはりしばらく続けて見たが、ここで日記と雑感を兼ねたブログは少しツライと思った。

自分が死んだ後、子どもたちや孫たちが――読んでくれるかどうかはわからないけど――読む頃には、このブログは消えてしまっているだろうというのがいちばん大きな理由。

 

いや、自分の寿命とともにブログが消えてくれても一向にかまわないんだけど、やはりどこかに、

「お父さんはこういう時にどんなことを考えていたのかな」

「何歳のときに何をしてたのかな」

と、年をとってから知りたくなることもあるかも知れないという思いがあるんだろう。

それは逆に、とりわけ子どもたちと離れて暮らすことになてしまった自分の心からの欲求なのかも知れない。

 

今、55歳という若さで死んだ母の日記代わりのスケジュール帳を読んでいるのだが、毎日書き込んではいないものの、その短い書き付けの中に、

(ああ……そんなことがあったかも知れない)

と記憶をあらたにさせる事柄がたくさん詰め込まれていた。

この複雑な思いは、僕の子どもたちにとっても同じ思いとなるかも知れないと、可能性が少しでもあるならば、やはり形にしてとっておいてやりたいと思った。

必要無ければ捨ててかまわない品と、どうしてもとっておいて欲しい品とを分けてボックスに残しておけば、後をどうするか、当人たちが決めるだろうから。

 

あらたにペンネームでブログを立ち上げる必要が出て来てしまったから、そちらにも書かなくてはならないし、しかしそんな時間はなかなか見つからない。

するとここのブログは、あくまでスケジュール帳に書ききれなかった雑感を入れておく役目を果たしてもらえばいいかなと。

 

棲み分けについてはまだはっきり明確になったわけじゃないけど、とにかく家事に手間がかかると料理がぞんざいとなり、料理に手間暇かけると仕事時間が減ってしまい、仕事時間のみに時間を割いてしまうと、家の中がぐしゃぐしゃになってしまうという生活を送っているから、執筆の合間にコーヒーブレイクのひとつとしてブログに雑文を書くしかできないだろう。

 

まだ考え中。

けど、スケジュール帳って殿さま商売もいいとこだよなあ。

新たにデザイナーに頼む手帳なんて数少ないだろうし、毎年年月日だけ変えて大量印刷するだけなのにあの値段なんだから……

この前書いたけど、駅の売店がやってた「人の足もとみやがって商売」と同じだなあ……。

それこそ中国とかベトナムで印刷しているところもあるんだろうから、ますます粗利が増えるじゃないか。

いい商売だな。うらやましい(-◇ー;)