✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 9/4(火) ②韓国映画を見終わって、突然思い出したこと。

本日はわずかに2ページ(4枚)ちょうど。

昼過ぎに預かっていた荷物を渡しにいかなければならないので、昼ご飯もほとんど食べずに梱包を始めたからしかたがない。

それでも乗らない原稿よりはるかに進むし、加速度がつきはじめている(中だるみとか壁とかあるかも知れないが)。

 

友人に大荷物を渡し、お茶を飲んで帰宅。

原稿の続きをやるかと思っていたが、夕食を作って食べたら(めずらしい)だらけてしまって、昨日のDVDの続き。

その友人から勧められた『息もできない』をようやく今ごろ。

 

小説でも映画でも、基本的にアジアの物はほとんど見ないので、これまで食指がわかないどころか、まったく念頭にさえなかったんだけど、偶然見た韓国映画のパワーに惹かれて、オススメを教えてもらったのだ

「最初から最後まで、ずっと暗いけどね」

と言って笑っていたけど、確かに(-◇ー;)。

 

ここで映画評を書くつもりはないけれども、過去の自分の体験と重なるところがあって、感慨深かった。

 

韓流ブームで甘いマスクをした2枚目俳優や、日本人が世界でもっとも憧れる顔つきだと聞いたことのある美人女優しか知らない人間にとって、韓国の底辺に生きる人間の過酷さについては、知るよしもないのではないだろうか(もちろん僕だって知らないどころか、韓国に行ったことすらない。ただ、朝鮮総連に所属していたRくんというライターと、民団に所属していたTくんというライターと、その他デザイナーだのカメラマンだの、なぜか在日朝鮮人のフリーランスの諸君と仕事をすることが多かった)。

 

僕が物心ついてから小学校を卒業する直前まで、僕の家の裏には、在日朝鮮人の家族が住んでいた。

そこの息子と僕は同い年だったが、いつもケンカばかりでとても仲が悪かった。

親父さんは飲んだくれで、一升瓶を抱えて大暴れし、なんどもパトカーに乗せられるところを見ていたことがある。

まさに今日見終わった映画と同じように、家族に暴力をふるうのが日常だったらしい。時々はまったく姿を見せなくなったこともあるから、家出同然どこかを泊まり歩いていたか、あるいは刑務所に入れられていた可能性もあるが、僕の父も母もそれらについてはなにも語ることがなかったので、事情はよくわからない。

 

その敷地内には葬儀屋の家族も住んでおり、これも在日朝鮮人らしい兄弟で(彼らの父親が、歯のほとんどに金歯を入れていたことを鮮明に覚えている)、僕より何歳も上だった。

この3人がいつもつるんでいるものだから、ケンカをしたってかなうわけがない。同い年の息子とは互角にやり合ったが、その後兄弟に組み伏せられて平手打ちをされたり、ま、そういう小学校時代だった(僕は越境入学で他の小学校に行っていたため、彼の日常については皆目わからない)。

 

その彼とパートに出ていた母親とが(なぜか父親はいなかったのだが)突然、ふだんからは想像もつかないようなこぎれいなオシャレをして、ニコニコ笑いながら僕の母親に軽く頭を下げて、どこかへ出かけるところに出くわした。

つぎはぎだらけのセーターで、いつも鼻を垂らし、それを袖口で拭くものだから袖がテカテカのがびがびになっていた彼が(僕も同じだったけど)、濃紺で金ボタンのまぶしいブレザーを着て、これも着飾った母親に手を引かれながら、

「じゃあな。バイバイ」

と言ったのだ。

「どこ行くの?」

と尋ねると、その子の代わりに、

「あなたの知らない遠いところ」

と母親が答えた。

「ふうん……」

 

それ以上説明しようとしなかったから、最後の会話はそれきりになってしまったが、いつもと違って心から晴れやかな顔をして笑いながら歩いて行く親子の姿が忘れられない。

 

まあ、映画を見てそんなことを思い出したというだけのこと。

東京のど真ん中(とは言っても、まだ世田谷まで都市は西進していなかったけれども)でそれだから、ましてや大阪なんか町全体が大荒れだったろうことは想像に難くない(西原理恵子さんによれば、今でも大荒れで変わっていないそうだが(-◇ー;)。

まあとにかく、なぜか彼らは大声で怒鳴る。これは中国人の一部もそうだけれども、大きい声を出した方が勝ちだとでも考えているフシがある。

 

はるか後日、それが北朝鮮への帰還事業だったのではと知って、愕然とした。

ふたりはおそらく、集団帰国の船に乗って、母国北朝鮮へと帰っていったのだろう。

飲んだくれで暴力をふるう夫(父親)と別れ、誰か関係者から「地上の楽園」という夢物語を聞かされた親子は、前途に大きな希望をもって、晴れ晴れしく日本を去ったのではあるまいか。

新しく買ってもらったブレザーを着て……。

 

彼はいま、どこでどうしているのだろう。

無事生きていたとしても、生活は困窮しているに違いないなどと思いながら、あれだけケンカばかりしていた隣の友人のことを、僕は突然懐かしさをもって思い出した。