✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 8/26(日) ②美しい思ひ出(2)

同然のことながらこの記事は全国的なニュースになり、福井県はもちろん大阪を中心とする関西圏で売り切れ。

当時の編集長は、

「営業のバカが。だから関西中心に部数をそろえろと言ったのに」

と悔しがっていたが、同じ会社の営業部でさえ、

「マユツバ記事」

程度にしか思っていなかった。

 

地元で売り切れになったのは、ある意味当然とはいえ、全国での関心は薄く、大手新聞やテレビも、

「検証ができない」

ということで取材にさえ現れなかった。

ゆいいつ朝日新聞の記者だけは訪れてくれたけれども、結局は記事にならずに終わった。

 

実はその時の連載記事には載せられなかった衝撃的な数字があるんだけど、これを出してしまうと完全に地域が特定されてしまい、風評被害が起こるのは当然ということで、編集長の判断で泣く泣くオクラ入りとした。

 

このとき頭に来たのは、福井県知事や県庁の役人、そして電力会社などであることはもちろんだけれども、全国の国民も、原発に関心のある人間以外は、

「また-。嘘じゃねえの?」

ぐらいで終わってしまったこと。

 

つまり、国民の側にも、フクシマ原発事件が起こるなんて夢にも思わないというか、

「お上が言うんだから安全なんだろう」

的な意識しかなかったことなのだ。

 

ところが今回原発事件が起きて、東京の住民にも反対の機運が高まったけど、僕に言わせてもらえば、フクシマ原発の周辺の人間は別として

「世界的な大都市であり、しかも知能レベルも世界一高いであろう東京の住民ですら、自分の頭で物を考えない人間がいかに多かったか。それがちょっとぐらい放射能をかぶったからって、じたばたしてるんじゃないよ」

ということである。

これは、僕らが福井県民から、

「大都会の人間は俺たちを踏み台にして電気を湯水のように使って、なにが原発反対だ。ふざけるな。帰れ」

と浴びせかけられた罵声と同じことだと思う。

 

それ以来、僕は原発問題から手を引いた。

ルポライターは今でも追求の手をゆるめていないが(別に原発専門のルポライターというわけじゃなく、原子力村とか、国の汚いやり方が許せないという憤りから原発にもかかわっているということ)、僕は正直、東京住民の意識の低さに匙を投げてしまった。

たぶんこいつら、自分たちが死の灰をかぶるまで、まったく興味を示さないだろうなと。

事実、官邸前のデモに参加しているのも、若いお母さん方や若者が中心で、企業戦士として働いている中高年の姿は目立たないじゃないか。そろそろ定年の人間も多いだろうし、どうせヒマなんだからせめてもの罪滅ぼしに、これからの若い世代に大変なツケを背負わせることに「結果的には」荷担してしまった者として、毎週デモぐらい参加しろよと思う。

 

御用学者や経産省の役人を責めるのもいいが、無関心か、もしくは

「電気がないと日本の経済は成り立たない」

と確信犯的に無視を決め込んでいた中高年は、恥を知って欲しい。

いまデモに参加している中高年は、たぶん若い頃からそうした問題意識を持っていた人たちだと思うから。

 

という、今や18年も前のこととなってしまった美しい思ひ出でありました。

って皮肉を込めてタイトルつけたけど、悪性リンパ腫はすでに進行が始まっていると、僕は思う。

畜生。