✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ アーサー・ヘイリーの作家生活。

 

 アーサー・ヘイリー

Arthur Haily(1920~2004)

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処女作『0-8滑走路』

代表作『ホテル』『大空港』『殺人課刑事』

 

「私の母は、たしか12歳のときに学校を終わらせてしまったから、あまり教養がなかった。でも、彼女はいつも自分でお話を創り上げ、私に話して聞かせてくれた。その影響か、私は幼い頃から人に話をして聞かせるのがとても好きだった。私のストーリーのアイディアのほとんどは、母から聞いた話からきていると思う。

例えば、画家が手の上に絵筆をのせれば、手が勝手に動いて絵を描き始めるように、私は迷いもなく小説を書き始めていた。

しかし、ここまでの道のりはそんなに甘くはなかった。私が小説家として、自立した生活ができるようになったのは、36歳ぐらいかな」

「私は、ちょっとしたニュースや事件を耳にすると、それをすぐに小説にしようと思ってしまう。災害が起こったとか、何か悪い事件が起こったとか、そういう日々の出来事が、すべて私の作品のネタになっていく」

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(あなたの作品のなかでは、いろいろな出来事が、話の進行とともにジグソーパズルのように互いにはまっていって、最終的に1つの図になっていくように思うのだが? の問いに対して)

「そのパズルのパーツが組み合わさっていく道程を考えるのに、本当に集中力が必要。プロットを考え出すときは、始まりと結末以上に、とりわけ真ん中の部分をどうクリエーションしていくかに、いちばん神経を使う」

 

「まず最初に私は、ごく一般的で漠然としたテーマをいくつか選ぶ。それをどれか1つに決めないまま、取材してゆく。取材を重ねていくうちに、私の頭のなかにあるベルがリンリンと鳴りだし、いくつか考えておいたテーマのなかからひとつが私の頭のなかに浮かび上がってくる。もうその頃には、主役がどんな人物かも、はっきり見えている。こんなふうにして、私は半年から1年かけてストーリーを構成していく」

 

「でも、実際に書き始めたら、最初に作ったアウトラインをそのままなぞって書き進めることはまずない。最初は影の薄い人物が、書いていく過程でだんだん面白い動きを始めることもある。話が展開するたびに、登場人物が増えてしまうこともある」

 

「キャラクターは、まず場面設定、プロットを考えてから主人公を考える。ヒーローを創り上げるのはとても難しい作業だと、いつもながら思う。

主人公を考えるときヒントになるのは、私が実際に出会った人々。ほとんどの作品に「リアル・ピーブル」を登場させている。だけど、ときどき架空の人物を創り出すこともある。もしくは実在する人物に、実際に彼らがもっていない要素を付け加えて作中人物をつくりあげることもある」

 

「作品を書いているときは、朝6時ごろに起きて仕事を始める。僕の頭がいちばん冴えているのは朝だから。その後、プールで泳いだり、トレーニング・マシーンを使ったりして、適度に運動をしてから朝食をとる」

 

(どうしてここバハマ諸島に住むことになったのかという問いに)

「私は生まれはイギリスで、最後にカナダに移り住んだ。その後はカリフォルニアのナパ・バレーで4年間過し、最終的にこのバハマに1969年に移ってきた。ここに越してきて29年になる。

ここのどこが気に入ってるのかって?

そう、気候がよいこと、海がきれいなこと、そして何より所得税がないことだね。作家としていちばん厄介なのは、所得税だから(笑)」

 

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――以上、『推理作家の家』(南川三治郎/西村書店)より抜粋。写真もすばらしくて、それを見ないとなかなか作家生活の雰囲気が伝わらないと思う。興味のある方は、ぜひ買ってご覧になってください。

※このプロットの書き方を、いま自分のものにしようと格闘している最中なんだけど、プロットを作らない人と、ガチガチに固めないと書けない人がいて、アーサー・ヘイリーはその中間ぐらいということになる。

これはたぶん、僕には理想のスタイルかも知れない。あるていど固まったプロットでも、書いている最中にキャラクターが勝手に動き始めるという点も似ているし……。

※ジャンルにもよるし、アーサー・ヘイリーのような大きなスケールの作品を書く場合には、確かにジグソーパズル的なアプローチというのは極めて有効だし、面白い物が書けると思う。

僕のデビュー作(また河野多惠子さんに怒られるな……)は、国際謀略ものだったんだけど、これには2年という時間をかけて、世界中に散らばったキャラクターたちが、がらっと違う生活や体験をしていくうちに、それがひとつにあわさって……という書き方をしていた。

それを見てくだった野坂昭如先生は、

「君、面白い書き方をしますね」

と驚きかつ褒めてくださって、君は書けますと太鼓判を押してくださった(で、貧乏になったわけだけど(^◇^;)。しかし一方で、

「けれどこうした形が日本の文学界で受け入れられるかどうか、まだ時期尚早という気もするな。日本文学をやってる編集者というのは、海外の作品にはほとんど興味を示さないという人間も珍しくないから。やはり日本だと、まだまだ私小説が強いよね」

ともおっしゃられ、しかも、

「金と時間をかけてこうした作品を作っても、それが必ずしもこの日本で受け入れられるとは限らないし、海外とりわけアメリカでは、この手の小説はもはや株式会社化しているからね。写真を集める人間、歴史を調べる人間、手分けして取材をする人間、カメラマン、そうした人間が膨大な資料を集めてきて、作家はそれらを取捨選択して組み立てていくという。日本の売れっ子の漫画家と似たところがあるかも知れない」

とアドバイスをくださった。

そしていろいろと考慮した末、そのジャンルをあきらめ、その後さまざまなジャンルで変遷を重ねて現在とりあえずあるジャンルに落ち着いているんだけど……

 ※この作家も、やはり朝型で、しかも適度な運動をしているタイプだ。知人にも「超朝型タイプ」の作家がいるけれども、体力的にはなかなかきびしいそうで、確かにこれは村上春樹さんのように、毎日10キロ近く走ってカラダを鍛えたりしていないと、長年続けるのはツライだろうと思う。もちろんのこと「夜型」もそうで、まずは「夜型」の作家が音を上げて朝型にしようと必死に努力している人が多い。僕は幸いにしてなんとか「昼型」にはできたけれども……「夜型」作家で、なおかつ酒を飲む人間は、なるべく早いうちに朝型にする努力をした方がいいと思う。会社勤めをして時間がないなら、まだ「超朝型」の方がマシのようだ。僕が見て、自分でも実践してみたところでは。

 ※ここまで書いてきて、「ちょっと待てよ」と気づいたことがある。なにかというと、

「作品を書いているときは、朝6時に起きて、仕事をして、プールorマシンでカラダを鍛えて、朝食をとる」

って、これが通訳ミスでブランチの間違いでないとしたら、朝食と呼べるのはせいぜい9時ぐらいだろうから、プールで30分だけ泳いだとしても、着替えとシャワーがあるだろうし、ドライヤーも使うだろうし、よしんば起きた直後にパジャマのまま仕事を始め、1時間で運動をこなすとしても、1日1時間しか働いてないぢゃないか!

いや、たぶん、だいじなところをはしょって、午前中の記述だけにして、午後の仕事については端折っちゃったんだろうけど……うーん、それにしたって午前中1時間も仕事してないことに変わりはない (-ω-;)。