✨どしゃ降りだっていいじゃないか。最後に晴れれば✨

小説家・小宅高洋(新ペンネーム)のひとりライフ。

■ 6/20 ④ 小説家になる法(その①……たぶんそのうちに、そのいくつだったか忘れると思ふ (-ω-;)

よく聞かれるのが、

「小説家になるにはどうしたらいいのか」

という質問。

自己表現をしたい人って、実はかなりの数がいるみたいなんだけど、どうせオレにはできないと思って最初からあきらめてしまう人もまた多い。

 

乱暴に大きくわけると、小説家になるためには2つのアプローチの仕方があって、ひとつは大半の人が考えているように、なにか文学賞を獲ること。

 

賞を獲らないと小説家にはなれないと考えている人は、実は大半どころかほとんどかも知れない。

僕も若い頃はそう信じ込んでいた。

 

もちろんこのアプローチはまったく正解の王道であるけれども、実は圧倒的に多数の小説家が、賞なんていちども獲ったことはない。あるいは無縁なのだ。僕を含めて。

 

ここに第2のアプローチの仕方があって、それは“持ち込み”。あるいは“原稿の郵送”。

そんなことで小説家なんかになれるのかと思いきや、そうした「書き下ろし作家」という層がいないと、出版は成り立たないのだ。

「職業作家」と言い換えてもいいと思う。

 

つまりこのタイプは、才能のあるなしは別として(日本語にすらなってないなど、レベル以下ならそりゃダメだけど)、出版社の要望に応えて、あるいは相談・打ち合わせをしながら作品を書き上げていくプロの集団。

 

もちろんここには熾烈な競争があるんだけど、ある一定以上の成績――出版社がそこそこ儲かる、あるいは少なくとも大損しない――を上げていれば、いきなりクビになるというようなことは少ない。

なぜなら、出版社は東販・日販などの取次という業種に本を渡して書店に配本してもらい、その上がりを取次が集めて出版社に振り込むシステムになっているから。

新しく創業した出版社はムリだけれども、古株の出版社には、実際に売れた本の利益ではなく、出版点数からはじき出される単純な予想利益が振り込まれるという商慣習があって、半年後なら半年後、1年後なら1年後に、実際はどうだったのか計算して、その差額を精算するのである。

 

ところがこの長引く出版不況においては、たいていの場合、出版社が多くの金をもらっているから、取次にそれを返さなくてはならない。

ところが半年後、1年後にそんな金など残っていないところが一般的。

するとどうするかというと、次々と本を五月雨式に出していって、そこから振り込まれるお金を、以前出した本の差額の支払いに充てざるをえないわけ。

いわゆる「自転車操業」というやつです。

 

そのためには、次々書いてくれて、しかも損をしない、そこそこ儲かるといった「数字の読める」作家が出版社にとっては必需品となってくる。

だからそうしたあるていど儲けを期待できる作家は奪い合いの状態になっているわけ。

ましてや確実に儲けられる有名職業作家は、もう接待の嵐でなんとか自分のところで本を書いてもらおうとあらゆる努力をするのだ。

 

ここに、「文学賞とは無縁でもプロの小説家になるチャンス」が残されているというのが業界の実情。

だから、あるていど自分で研鑽を積み、面白いと思った作品を持ち込む、あるいはていねいな手紙をつけて編集部宛に郵送するというのは、けっして無駄な行為じゃないのだ。

(ただし、新人の才能を見抜けないダメ編集者や、当たるか当たらないかわからない新人より、確実に売れている作家の獲得に全力をあげている編集者なんかに当たってしまうと、門前払い或いはお蔵入りとなってしまうケースも多々ある。でもそこですぐにへこたれてしまうか、なにくそと他の出版社を当たるか、そうした闘志の問題となってくる場合が多い。そしていったんまあまあという評価を得られれば、少しずつ自分の地位を上げていくことが可能になってくるわけ)

 

まあこの話についてはまた後日。